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記憶喪失。そんなに軽々しく口に出せることに心底驚く。
「その割には元気そうだ」
無意識の内に言葉に出てしまっていたが僕が言うのも些か皮肉だ。しかし、客観的に見ると確かに不思議な感じがする。
「君は違うの?」
「僕は……」
僕も元気だ。だからこうして悩むことがある。
「ふーん、そっか」
僕が何も言わなくても彼女は何かを察したように相づちを打った。そして僕に背を向けて歩き出す。ずるずると引きずられるように僕は彼女の後に続く。
しばらくして彼女は立ち止まり、まるで洋服を選んでいるように辺りを吟味する。何をしているんだろうか、不思議に思って彼女を見つめていると、これ決めた、そう言わんばかりに小走りで駆け出す。覗いた横顔が微笑んでいた。
そのまま視線で彼女を追ってみると、一際大きい木の影に入り芝生に転がり込んだ。飼ったこともないけど、犬の散歩をしている気分になる。
「ねぇ、君も来なよ!そんなところじゃ暑いでしょ?」
彼女は寝転がったまま少し声を張った。その声に導かれるまま僕も影に隠れ、彼女がぽんぽんと叩く隣に座った。
「じゃあ乾杯しよっか」
むくりと起き上がり、小気味いい音を立てて缶を開けた。
「なんで乾杯?」
「いいじゃん何でも。ノリって大事だよ」
「……ノリ、ねぇ」
そうは言いつつも僕もプルトップを引く。すっかり彼女に主導権を握られてしまっているようだ。
「はいじゃあ乾杯」
随分と雑な音頭だ。拍子抜けしていると缶を押し付けられ鈍い音が鳴った。彼女は口をつけて心底美味しそうにジュースを飲む。
まだ一口も飲んでいない僕に気づくと眉間に皺を寄せ、缶から口を離した。
「早く飲みなよ。それとも私のお酒が飲めないっての?」
「お酒じゃないし。それにそれ、僕のお金で買ったんだけど」
「うっ、記憶が……」
「都合のよく記憶消さないでよ」
「記憶喪失の特権よ」
「横暴だ」
横暴だけど、前向きな彼女がなんだか眩しかった。
その眩しさから逃れるように缶に口をつけて液体を流し込む。直ぐに苦味が口中に広がる。なるほど、これは確かに渋い。
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