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翌朝、わたしは駅前にやってきた。
だが女の子はいなかった。
待ち合わせの時間を決めていなかったが、なんだか「時間を決める」というのが都会的で無粋な気がしたのである。
わたしは待つことにした。
駅前では、男の子が3人ばかり集まって虫取りをしていた。
しばらくぼんやりと待っていると、男の子のひとりが近づいてきた。
「おじさん、電車逃しちゃったの?」
「いいや、待ち合わせをしてるんだよ。女の子なんだけど――」
そういえば名前も聞いていなかった。
「ふうん。」
「きみたちは見なかった?」
「知らない。」
田舎へ旅行にやってきて、女の子と待ち合わせして心躍らせている自分が、なんだか惨めに思えてきた。
「なにか捕まえられたかい?」
「見る?」
丸坊主の少年が、虫かごを差し出した。
大きくて真っ白な蝶が一匹入っていた。
その蝶は弱っているように見えた。
「こんなに大きいのおれもはじめて! すごいでしょ?」
少年の虫取り網には、蝶から抜け落ちた羽の一部が引っかかっていた。
「ねえ、その蝶をおじさんに譲ってくれない?」
「えっ! だめっ!」
「もちろん、タダとは言わない。そうだな……ここに1万円がある。これでなんでも好きなものを買うといい。」
「……。」
少年は迷った挙句、蝶を譲ってくれた。
網についていた羽も崩さないようそっと剥がした。
わたしは蝶を宿へ持ち帰り、薬剤を嗅がせた。
蝶は眠るように死んでいった。
わたしはそれを丁寧にピンでとめる。
蝶は白くてきれいな姿のまま展翅された。
わたしは趣味で昆虫採集をしていたのだった。
なにか珍しい虫を見つけては標本にして楽しんでいた。
それがこの田舎町にやってきた目的の1つでもある。
わたしはまた駅前にもどった。
やはり女の子はいなかった。
まだ虫取りをしていた男の子たちに訊いても、女の子は来なかったそうだ。
そもそも、この町で10歳くらいの女の子を見かけたことがないらしい。
一日待ったが女の子は現れなかった。
結局、それっきり女の子には会えなかった。
いまでもわたしはあの女の子のことを思い出す。
わたしの机の上には、白くて大きな蝶があのときの姿のまま、羽を広げている。
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