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「だめよ、そんなこと言っちゃ」
幼げなすすり泣きと、それを必死になだめる、こちらは、ほんのすこし大人になった声。大人になりつつある少女の声だ。
「だって、だって、あの人、サリーのパパを盗ったんだもの。人のもの盗ったら、泥棒じゃない!」
まさかと思いながら奈々は声に集中した。つぎの言葉がすべてをおしえてくれた。
「パパはサリーとママをおいて出ていって、今はひとりでマンションで暮らしているの。みんな、あの人のせいよ。あの人のせいで……、あの人とあの人のお母さんのせいで、ママは毎日泣いているんだから。あんな人、大きらい!」
「わかるわ」
「わからないわよ! お姉様になんか、わからない」
怒りの声が廊下にひびいてきた。
「ううん、わかるわ、サリーちゃん。なぜならね、わたしのパパ……父も、やっぱりべつの女の人と、その人とのあいだにできた子どものために、わたしと母と兄をおいて家を出ていったから」
「……ほんと?」
奈々はどうしても動くことができなくて、足をとめたまま声のやりとりを聞いていた。
「わたしが中等部のときのことよ。それから父とは一度も会ってないわ」
「一度も? 会いたくないの、お姉様」
「会いたいけれど……でも、もういいの」
奈々は背中に汗が流れるのを感じた。同時に、今まで背骨をびっしりとかためていたこわばりが、すこしだけほぐれたのを感じた。
「父のことを思い出すと、やっぱり腹がたつんだけれど……、憎んでもしかたないし。それにね、サリーちゃん、そのことは皆川さんにはなんの責任も関係もないことなのよ。だから、皆川さんにはちゃんとあやまりましょうね」
「でも、でも……」
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