第1章

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 美琴がうってかわったようにおだやかな声をかける。中等部の図書委員をしている彼女は、美琴の??お気に入り?≠ネのだそうだ。上級生が気に入った下級生に目をかけてつれ歩いたりする、そういったまるで昔の女学校めいた、いかにも古風なお嬢さま校の習慣も奈々は苦手で、内心毛嫌いしていた。  (なにがサリーちゃん、よ。気持ち悪い)  心のなかで毒づいてやった。  沙理衣は奈々の気持ちを読んだかのように、一瞬合った目を、あわててさけた。彼女もクラスの雰囲気が普通でないのに気づいたのだろう。フランス人形のような愛らしい顔を恥ずかしそうにふせて、扉からおそるおそる言葉だけをおくってきた。 「あの、先生からの伝言です。お家からお電話があったそうで……。お財布が下駄箱の上に置きっぱなしになってあったそうで……。心配しないように、とお母様から連絡があったそうです」   霞ヶ丘では原則として携帯電話の持ちこみを禁止している。それでもほとんどの子が鞄の底にこっそりかくし持っているが、見つかればひどく叱責され、厳罰処分される。小林の母親は、携帯電話に連絡して、万が一にも呼び出し音が人前で鳴りはしないかと案じて学園の職員室へ電話をしてきたのだろう。  その場にいた全員がいっせいに息を吐き、教室内にちいさな安堵の竜巻がおこった。 「ごめんなさーい!」  財布がなくなったと騒ぎだしたときより、さらに困りはてた顔で小林があやまった。 「もう、人騒がせねぇ」  あきれながらも、笑いながら生徒たちは肩をすくめたが、奈々と美琴だけは張りつめた顔のまま立ちつくしていた。 「ごめんなさい……」  やがて美琴がひどく気まずそうに、ぼそりと小声であやまった。奈々も飲めない息をむりやり飲みこんだような、胸をおさえるような動作をしてから、椅子に腰をおとし、なんとかその場はおさまった。  けれど誤解は完全にとけたわけではなかったのだ。滝川美琴は口ではあやまっても、奈々を泥棒と、泥棒をするような育ちの悪い娘と思っているのだ。このメモを机のなかに入れたのは美琴にちがいない。ひどい嫌がらせだ。    奈々は悔しさに唇をかんだ。  胸のしこりが消えないまま日は過ぎて、また今朝も雨が街と学園を灰色にそめた。今年は数年ぶりに厳冬になるかもしれないと朝のテレビニュースが報じていた。
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