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鍵を開けるのに手間取り、靴を脱ぐのさえおっくうで、ぼんやりと玄関にたたずむ。
廊下奥のリビングは、静かな闇の中にあった。
僕はわざと足音をたてて歩き、リビングの灯りをつけ、コンビニで買ってきた朝食用の食パンと牛乳を乱暴にテーブルに置く。
テレビのリモコンを操作すると、静まり返った室内に、耳障りでにぎやかな声と音がひろがった。
今夜はシャワーだけで済まそうと、テレビをつけっぱなしで浴室へ入った。頭から熱い湯を浴びると、冷え切った躰が徐々に温まっていく。
霞みがかった頭で何か考えようとするが、極度の疲労感がそれを邪魔していた。
それでいて、あの光景だけは脳裏に焼き付いて消えない。
思考がまともに働かないのに、妙に躰は熱を持っていた。
妻を最後に抱いたのが思い出せぬほど、枯れていた僕の下腹部は、痛いほど張りつめる。
こんなにも高揚した気分になるのは久しぶりだった。シャワーを浴びたまま焦ったように右手を動かし、浴室の壁に濁った飛沫を飛ばす。
強烈な快感に立っていられず、床にぺたりと座りこんだ。
定時では悪目立ちするから、20分ほど退社時間をずらそうと思う。
めずらしく、課長の小言を聞くこともなかったから気が抜けたのか、一日中うわ
の空で仕事を終えた。
様子をうかがうと、課長は女子社員と話し込んでいる。チャンスだ。長針が傾いてすぐ、僕は課長のデスクに近づいた。
「課長、お先に失礼します」
課長の口が言葉を発する前に、す早く鞄をひっつかみ、待機中のエレベーターに飛び込んだ。
今日も『れむ』で食事するつもりでいる。
数年ぶりに、一人きりの夜を過ごした僕の脳裏には、昨夜のワンシーンがくり返し再現され、勝手にストーリーを膨らせていた。
その空想の中で、彼女はあの男に抱かれていた。
白く華奢な裸体は汗まみれで、男の浅黒い裸体とからみ合い、陸に打ち上げられた魚さながらに躰をそらし、くねらせ、男から与えられる愉悦に打ち震えていた。
彼女の口から甘い嬌声が上がるたび、男の顔は僕になったり、あの男にもどったりした。
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