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いきなり本題。
「藤川を幸せにしてくれてありがとう」
「…はひ」
はい、とも、はぁ?ともつかぬ変な声が出る。えーと…、とりあえず怒る気はないみたい、かも。
彼はテーブルの上で繊細な美しい指を組んだ。
「僕は、できないことが、いろいろあるから。藤川がしてほしいことの、全部はあげられない」
「…セックスとか?」
店員が近くにいないことを意識して、思わず尋ねる。そんなこと言っちゃうと自分が菜摘としてることがあからさまになってしまうが。彼は平然と頷いた。
「それも。他、気持ちをわかってあげる、とか。話を聞いて、共感する、とか。駄目なことがたくさんある」
「…そうか」
俺は少ししんみりする。本人はやっぱり、ちゃんとそういう自覚があるんだな。なかなかハードな事態だ。
「自分は藤川がそばにいてくれるだけで満足。他に何も…、なくても平気。でも、藤川がだんだん、辛そう、苦しそうになってきたのが…わかった。どうにもできなくて」
「…うん」
向こうが必要としてるかどうかわからないが、とりあえず相槌を打つ。
「去年の秋。今頃。藤川、泣いてた」
心臓がドクンと鳴る。…青木の部屋から帰った翌朝。
「…わかってたんだ」
俺の目近くの何処かの空間を真剣に見つめる。
「その時はわからない。目の周り、あんなにびしゃびしゃなのにどうして拭かないんだろう、としか…。何日も経ってからあれは泣いてたんだなってわかった。遅い」
うんまぁ。確かに。…けど。
「遅くなっても、訊いてやればよかったのに。何かあったの?って」
尋ねられて、菜摘があの出来事を口にしたとは正直思えない。でも、彼氏が苦境を察してくれたという事実は、ほんの少しでも彼女の心を慰めただろう。
彼は淡々と抑揚なく答えた。
「聞いても、理解できないかも。それの何処が辛いの?って思ってしまったら、藤川に伝わる。もっと傷つける…」
「…うーん」
俺は唸るしかない。心情的にどうしても理解できなくても、とにかく頷くとか優しい言葉をかけるとか…そういう『とりあえず』が出来ないんだろうな。
それに、今回みたいな深刻な被害の時はそれだけじゃ菜摘を救えない。
自分が実際経験してない事態を想像で補えないって、本人も本当に大変なんだ…。
「君がそばに来てくれてから、藤川が幸せになった」
「そう…、かな?」
そういう喋り方の癖なんだろうが、断言口調。内容的にはまぁ嬉しいが。
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