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彼は何処とも見えぬ場所に目をやりながら深く頷いた。
「幸せな藤川といるのは楽しい。だから君に今のまま、藤川のそばにいて欲しい。僕と一緒に藤川を大切にしてくれたら…」
「は?」
当たり前のことみたいに出てきた申し出にどうしようもなく突っかかる。
「いやちょっと待って。…君は、菜摘と別れる気はないってこと?」
思えば後から割り込んでいったのは俺の方なので、こうやって強気に出るのもどうなのかとは思うのだが、今さっき本人が菜摘を自分で支えられない、と吐露したばかりじゃないか。彼女を諦めてくれるってわけじゃないのか?
彰良はきょとん、としか表現しようのないイノセントな表情で俺の方を見た。
「別れない」
…がーん。
「何でそんな」
思わず身を乗り出した俺だったが、店員が料理を運んできたのでやむなく気勢をそがれる。
「お待たせしました~。生姜焼きセットの方、と。澤村さん、ブレンドだけ?食べなくていいの?」
「…日曜だから」
短く返す彰良。それで店員に通じたらしく、にっこり微笑まれる。
「あ、そっか。彼女さんの来てる日だもんね。帰ってから二人で食べるんだ」
…。
俺は言葉もなく打ちのめされた。たった土日の二日間、彼氏に菜摘を貸してるだけ。平日の全部を菜摘と過ごしている自分、菜摘の身体を隅々まで知り尽くした俺が本当の恋人なんだ。内心本気でそう思っていた。彼ら二人には二人の生活があるってこと、何処かでわかっていても見ない振りをしてきた。
そう頭で理解しても、感情ではやはり釈然としない。
「俺にはよくわからないんだけど。君にとって菜摘って存在は本当に必要なの?」
遠回しなことは止めて、俺は真っ向から斬り込むことにした。
「同じ部屋にいても殆ど話もしないんでしょ。菜摘の方から声をかけてもいけないって聞いたよ。勿論身体も必要じゃないし。だったら、何のために彼女をそばに置いておきたいんだよ。あいつは人形じゃないんだぞ」
胸の内に感情の熱い塊がせり上がってくる。
「俺はそうじゃない。この一年ずっと、傷ついた菜摘をどうすることもできなく側で見続けて…。こんなつらいことはないと思ったけど、やっと二人で前に進めるようになったのに。あのクールで無情な物言いも、時々泣きたくなるくらい優しくなるところも、意固地で頑ななのに急に柔軟になる適当さも。柔らかくて華奢なのに全て受け入れてくれるあの身体も。菜摘が全部欲しいのに」
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