闇より舞い降りし猛き神は必ずや我に罰を与う

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 今日、何度目になるのか数えることすらやめてしまった溜め息が、彼の口からまた漏れた。  俺はなにを悩んでいるのだろうと入江は思う。もしこういう事態が訪れた時には全てを捨てると決めていた筈なのに、いざとなると迷いがあることもまた事実だ。  しかも入江は迷ってしまう自分を許せそうにない。全てを捨てると決めていたのに、捨てることを躊躇ってしまうのは、入江があの頃とは変わってしまっているせいだ。全てを捨てると誓った時には、入江には失って困るものはなにもなかった。決して汚い大人になってしまったせいではない、人は誰しも月日とともに変わるのだから。  それでも、と入江は思う。  入江にとってあの誓約は、なにを捨てることになっても、例え己の死をもってしか完遂できないものだったとしても、最優先させるべきものだった。それなのに心のどこかで入江は躊躇った。むしろ死んでくれと言われた方があっさり実行できただろうに、入江に要求されたものはもっと複雑だった。  はぁ…と入江は溜め息をつく。死んで片づくことだったらどんなに楽だったろう。  溜め息をつきながら入江は電話をちらりと見た。返答の時間までもう一時間もない。  電話から目を逸らし、今度はただじっと天井を見つめた。何度も何度も、まるで壊れたビデオテープのように思い出すのは昨日の出来事の顛末ばかりだ。ふいに訪れたその要求は、入江にとっては永遠に来ないでもらいたかった出来事だ。
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