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不敵な笑みを返して告げるなり、宵種は腰に佩いた長刀を抜く。
彼のもう一つの役目とは、帰る意志を持った者の為に道を開いてやる事なのだ。
柄頭から藍色の宝珠がぶら下がる刀を上段に構え、気迫と共に眼前の虚空へと斬り付ける。
斬撃の勢いで地面を染めていた花弁が再び舞い上がり、薄紅色の吹雪となって千夜璃を包んだかと思うと――。
気付けば彼女は、生まれ育った屋敷の庭に佇んでいた。
白昼夢でも見たかとも思ったが、庭の桜はまだ蕾にも拘わらず、髪や着物から桜の花弁がはらはらと零れ落ちる。
「千夜璃さん、五条様がお見えになられましたよ」
母に呼ばれ振り返れば、縁側越しに緊張の面持ちで立つ凛々しい青年の姿があった。
――何だか……あの管理者さんに、お顔が似ているわ。
千夜璃が頭を下げると、相手も深々とお辞儀を返す。似ているのは容貌だけらしい。
そう思うと、何だか可笑しくて――。
麗らかな卯月の陽が注ぐ中。口元を袖で隠し一歩を踏み出す少女を優しく見守るかのように、桜の蕾も綻んでいた。
「ふう。今日の仕事も終いだな」
鈍く煌めく刀身を黒塗りの鞘に収め、宵種は一息吐く。
「お疲れ様。お団子食べる?」
三色団子を山盛りに乗せた盆を持って来たのは、桜桃のような赤眼が愛らしい娘だった。
管理者の一人で苗木の世話をしている、櫻萌(サクラメ)だ。
「また人間を送ってやったようだな」
もう一人の銀薙(シラナギ)も、木漏れる朝陽に白銀の髪を輝かせてやって来る。その背には純白の翼が畳まれていた。
「まだ小娘だったからな。喰われちまうのを黙って見るのは忍びねえだろ」
「可愛い娘だった?」
甘い団子を頬張る宵種を揶揄(カラカ)うように見詰め、櫻萌が問う。
「ま、将来は美人になりそうだったか。んじゃ、寝るわ」
緑茶で団子を流し込むなり、宵種は降り積もった花弁を褥(シトネ)に、ごろりと横になった。
「もう、たまには昼の仕事も手伝ってよ!」
「寝かせてやれ。異界への道を開くのは、相当の力を消耗するからな」
銀薙に窘められて、櫻萌は渋々と口を噤む。宵種は既に寝息を立てている有様だ。
「仕方ないな……良い夢を」
囁きながら白い指で彼の前髪を払いのけると、閉ざされた額の瞼にそっと桜色の唇を落とす。
疲労感の滲む青年の寝顔が、少しだけ和らいだように見えた。
此処は幻刻郷の東域。三人の管理者により守られし、美しき桜の園――。
<了>
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