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幼少期は何処から溢れてくるのか分からないほどの自信に満ちていた。はっきりものを言い、嫌なものは嫌と言えた。毎日外で遊ぶほど活発だった。
中学に入ってから段々おかしくなった。思春期に突入して自分のコントロールができなくなり、黒板や壁を殴っては怪我をするようになった。
高校では付き合う人が出来たけど、うまく接する事が出来ず、すぐにフラれた。友達でもいいと言われたので、ゲームか何か借りに行ったら2度と来るなと襲われそうになり、余りのショックで気がついたら手首を切っていた。
我に帰り、血だらけで友達の家に駆け込み傷を洗った。友達の家族が家に連絡してくれ包帯をして家に帰った。親は泣いていた。何てことをしたのだろうと酷く落ち込んだ。そこから私はあかん人間だと思うようになった。
人と上手く接する事が出来なくなり親とも口喧嘩が増えた。堪らず自分の部屋に閉じこもり泣いて過ごす日が続いた。
社会人になっても変わらなかった。親には酷いことしか言えず、仕事場では意見も言えず。何のために生きているのか、私に生きる意味はあるのかと、夜は毎日泣いていた。数少ない友人と遊ぶ時、音楽を聴いている時や、車で1人ドライブする時だけは気がまきれたが、それ以外は何も楽しくない。どうやって時間を潰したらいいのかばかり考えていた。何も夢も希望もなかった。自分で耳に針を刺してピアスをあけてみたり(両方で7つ)、輪っかにしたベルトの先をタンスに挟んで首を吊ったり(意識なくなる寸前に怖くなりやめたが)自傷行為がつづいていた。
22歳になって資格を取りに市が運営していた准看の学校に通う事になったが、自分が出せず周りと上手く関われなくて苦しかった。その頃から心療内科に通うようになったが、病名などは教えてもらえず、薬を飲んで学校に通っていたが、ある時脅迫観念が出て薬をあるだけ飲んでしまった。したらあかんと自分で分かっているのに自分で止めれない、勝手に体が動いた。飲んだ後慌てて友達に連絡し、友達が学校の先生に連絡してくれ、先生から親に連絡が入り父親が血相変えて病院へ連れて行ってくれた。その時の記憶は父親が部屋にきて私を抱えたところと、病院て胃洗浄される瞬間しかない。気がついたら病院のベットだった。薬の量が少なく重体にならずにすんだが、まだ親に心配をかけてしまったと落ち込んだ。
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