アイデンティティさらし The Murder of Common Identity

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「彼はあなたの顔を知っていた。しかしあなたは彼を知らない、見覚えがない、あるいは思い出せない。彼はあなたをフルネームで呼んだ。しかしあなたは彼の名前を知らない。彼はあなたを『いつもマジメだ』と指摘した。ということは、あなたの何かしている姿をよく見ていて個人的感想を抱いたことになる。しかしあなたは彼に見られている自覚はない。彼はあなたと同じ大学の生徒なのか。いや、それならばもっと具体的にキャンパスライフの話題、たとえば授業のことや先生の固有名が出てきてもおかしくない。では、彼はストーカーなのか。なんらかの方法、たとえばネットハッキングなどであなたの個人情報を盗み出しているのか。これも答はノンです。それならば、もっとあなたのことを知っていなければおかしい。さて、こう考えると解答はもう目前です。彼はあなた『多田野響子』さんのことをその程度にしか知らない(、、、、、、、、、、)ということを意味するのです。ところで多田野さん、あなたは今日大学に行きました。当然、こんなに遅くまで大学にいたわけではありません」 「あ、はい」 「帰宅が遅くなったのは、コンビニ帰り(、、、、、、)だからです」  決めつけるような言い方がちょっとムカついたけれど、そのとおりなので頷いた。 「正確に言うと、あなたはコンビニでバイトをした(、、、、、、、)帰りなのです。そして今夜の不可解な経験の解答も、そこにあるのです」  そう、あたしは今日大学に行って、夕方から駅前のコンビニで午後10時までバイトだったのだ。だからスカートとミュールじゃなく、ジーンズとスニーカーを履いていたのだ。 「コンビニの店員は通常、制服の胸に名札を付けて、たとえばそう『多田野響子』と時にはフルネームが入ったプレートをぶら下げて接客するものです。あなたが熱心に仕事している姿も、何度か目撃されているでしょう。加えて、見た目、あなたの年齢は大学生と予想されてもおかしくはない。そして、店員にとってはお客は不特定多数であっても、お客側にとっては店員は特定の人間になりうるということです。もしその不特定多数の中に、あなたの意識しない常連のお客がいて、その彼があなたを『多田野響子』という特定の個人として意識していたら」
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