凶器

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 凶器

「あっ、確かに扇風機があった」 「犯行後、扇風機を臨時のリールにしたのよ。扇風機の安全カヴァーを外しておいて『強』で回せば、60メートルの釣り糸もあっという間に回収できる。いちおう刃物がマンションの下まで来たら、慎重に工夫し、壁と離して引き上げたでしょうけど。扇風機に巻きついた釣り糸は、ニッパーででもぶつ切りにして、おそらくスポーツバッグに詰め込んで隠した。もちろん扇風機のカヴァーも元に戻しておいた」 「膨らんだスポーツバッグ……もあった。う、ううん、せやけど刃物は? あれ、ってことは凶器は室内にあったってこと?」 「そういうこと。釣り糸はたぶん家庭ゴミに混ぜて処分されているでしょうけど、凶器の刃物は今も自宅にあるでしょうね」 「えっ、今も!? ど、どこに?」 「キッチンよ。凶器は台所の包丁。魚料理が多かったことからして、出刃包丁があったのは間違いない。重さや切れ味からも、それが一番凶器に適している。あの日、料理を昼間に作ったと良子さんは言っていた。だから夕方塾の前に、良子さんがトイレでも行っている隙に和也くんは盗める。よく思い出して。カズくんが外出するきっかけになった出来事は、良子さんの『あれー、ない』という驚きに対して和也くんがすかさず『もう食材がないんでしょ』と言ったことだったはず。でも、コンビニへ行こうとするカズくんに良子さんは、『いや、いいんですよ。食べ物はどうにか──』とか、『徳丸さん、お酒なら私がコンビニに──』と言って再三留めようとしていた」 「ま、まさか、食べ物はあったってこと?」 「会話のニュアンスから、その可能性が最も妥当してる。良子さんは、カズくんがお酒をもっと買ってこようしていると解釈したんでしょうね。別のものがなくなっていること(、、、、、、、、、、、、、、)に気づいて驚いていたのだとしたら。何か料理しようとして気づき、声を上げたという前後の文脈から考えれば、それが食材でないならもう一方の料理の必須アイテム、つまり道具(、、)である蓋然性が高いの」 「道具……。せやけど、それが事件と必ずしも関係あるとは──」 「限らない。でも、それが事件の起こった日の特別な(、、、)出来事だということなら、関係ある確率は非常に高いのよ。そしてそれらの可能性をすべて重ね合わせると、その消えた道具が凶器の出刃包丁であることは、確実」 「なんで……」 「通り魔に便乗したのはいいけど、刃物の調達が難しかったのね。時期が時期だけに、中学生だと包丁を購入するのも目立つから」 「そ、それじゃあ、良子さんが和也の犯行に──」 「気づいている可能性も充分ある。いいえ、ぜったい気づいてる。カズくんが事件を二人に知らせたとき、和也くんだけあとから遅れて来たわよね。凶器の出刃包丁は、その前に台所の元の位置に戻した。だとしたら、事件後に包丁が元通りになっているのを見て、良子さんは確信したはず。息子が犯人だと」 「そ、そんな……」 「もしかしたら、夫の遺体を目の当たりにしてすでに(、、、)一人息子の父親殺しを予感したから錯乱したのかも。振り子トリック殺人を計画した和也くんは、トリックの性質上不確定要素が多いから、折りを見ては何度も、夜中にこっそりリハーサルしたはず。犯行前も犯行後も、できるかぎり平静を装っていたでしょうけど、母親の良子さんなら、そういった息子のいつもと微妙に違う様子に気づいたんじゃないかな」 「良子さん……ぼくなんかより遥かに重いショック受けてるやろうな……」 「せめてもの救いは、いいえ決して救いになんかならないでしょうけど、殺された敬一さん本人は誰になぜ襲われたかわからないまま死んだこと……」 「敬一……せやけど、かわいそすぎる。和也はなぜ、こんなことしでかしたんや」 「たぶん和也くんは自室の窓から、いつも父親の帰宅する姿を見ていたんじゃないかしら。それでこんなことを思いついた。特異な殺人トリックでありながらアリバイトリックでもある(、、、、、、、、、、、、)、振り子トリックを」
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