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――その瞬間、月が姿を現した。
それと同時に彼女は俺の間合いから外れて、敷地の境界にある塀へと軽やかに飛び上がる。
「ご、ごめんなさい。…それは、できないの」
月を背負うようにして立った彼女の姿は、綺麗に切り抜かれた影絵のようだった。
「今日は、戻しにきただけなの。…昨日借りたものを」
だから、捕まえないで。と彼女は言う。
頭のてっぺん近くで結わえた髪と、忍装束の袖が風に絡み取られて円を描いた。
着物の短い裾からは、すらりとした脚が伸びている。
月の光が逆光になってしまい、相手の顔は見えなかった。
「この距離じゃ、もう捕まえられないよ」
捕まえる気なんて、とっくのとうに失せている。
「胡蝶には、個別の名前はないの?」
何とも間の抜けた質問。
それでも、今宵言葉を交わした相手の名を知りたかった。
「…あるよ。助っ人さんと衛士さん達を引きつけているのが、葵(あおい)」
話していると、彼女が素直な性格をしているのがわかる。
正直なところ、わりと好み。
「…君の名前は?」
そう尋ねたとき、彼女の纏う空気がより柔らかなものになった。
「照りもせず
曇りもはてぬ
春の夜の
朧月夜に
似るものぞなき」
それが、彼女が去り際に残した言葉。
印象に残るのは、舞う桜の花びらと。
雲に霞んだ朧月……。
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