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武時が慎重であれば、結果は違ったものになっていたかもしれない。
十郎は博多まで一族に随行してきたが、探題を攻める段になって子どもだからと聖福寺に預けられ今に至る。
二番目の兄頼隆は父武時の隣で首を並べており、もう一人の長兄、武重は噂では共に肥後から来た阿蘇惟直と戦場を落ちる途中、傷を負って行方知れずになっているという。
「して、十郎殿はこれからどうなさる」
「国に帰っておやじ様達の名誉を回復します」
秀山禅師の問いかけに、物思いから醒めたような顔をした十郎は即座に答えた。
「名誉……名誉か。菊池の名誉とはなんぞや?」
「武門の屈辱は武によって晴らさねばなりません」
「子供のそなたがか」
「子供とあなどらないで下さい。あと2年もすれば元服します。2年のうちに、それがしを鍛え上げます」
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