乱鴉

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菊池一族の中にも幕府寄りの者が居て、不用意に動けなかったという理由もある。 しかし、過去源平の乱で時勢に乗ることが出来なかった事が、現在の菊池家の不遇を招いているという事実を頭から振り払う事が出来なかった。 状況的には、後醍醐天皇不利がおおかたの見方だった。 北条英時が御家人に招集を掛けたのは、渡りに舟というやつだった。他家の領内を穏便に通過する事が出来る。 あまり多くの兵を連れていく事は出来ないが、道々に他家を説得して協力を得られれば、挙兵の成功の確率が飛躍的に上がる。 武時は迷わず、少弐家や大友家という有力御家人へ使者を走らせた。 反応は、はかばかしいものではなかったが、どちらも兵を動かして同調する動きを見せたので説得に応じてくれたものと思い込んでしまった。 結局、武時以下菊池一族200余名が鎮西探題の館へ攻め寄せた時、もう少しで探題側を撃破出来るという所で少弐貞経、大友貞宗率いる軍勢に背後から挟み撃ちにされてしまった。
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