約束

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私は病室を飛び出すと、次々と病室の患者の名前を見ながら廊下を進んだ。 死ぬ数日前だから末期…手術をしたかどうか覚えていないが、内科に移っていてもおかしくはないだろう。 ナースステーションの近くまで来たところで、私は目を見開いて個室の前に歩み寄る。 「…黒崎…圭司…。」 そこに書かれた父の名を小声で読むと、少し開いているドアから中を覗こうと試みた。 「主人に何かご用ですか?」 後ろから声をかけられて私はあわてて振り返った…声の主は見覚えのある顔だ、が…。 「…お母さん…若ぇ…。」 目の前にいる20年前の母に聞こえないように呟く…そうか、今の私と6歳しか違わないんだっけ…。 「…あっ、えっと、その…。」 我に返ったところでうまい言い訳を思いつかず、シドロモドロな対応をしてしまった。 怪訝そうな顔で私を見る母に、病室の中から声がかかる。 「…何かあったのか?瑞穂。」 懐かしい声に、私の心臓が一際強く脈打つ。 私は『何でもありませんよ』と答えながら入っていく母を追うように視線を病室内へと向けた…そこにはベッドの上で身体を起こしている父の姿があった。 痩せこけた頬、窪んだ目…最後に見た『いつもと違う父』は、子供心に何処か恐怖心を覚えるものだった。 今ここに見る父は頬が痩せてはいるが、目のやさしさは入院前を思わせるものだった。 声をかけたい…けれど何を言えばいいのかわからず、声が喉から出てこない。 「──あっ!こんなところで何してるんですか?ナナシさん!」 看護士の言葉にガクンと揺れた頭は口を閉じてしまい、言葉は唾とともに完全に喉の奥へと引っ込んでしまった。 「…ナナシさん?」 病室に買い物袋を置いた母が看護士と私を見比べながら問いかける。 「あ、はい。この方は記憶を無くされていて、身分証明になる物を何もお持ちではなかったので…。」 …で『名無しさん』か、安直だなぁ…まぁ文句は言えないけど。 「そうですか…で、その方が何故ここに?」 看護士の話に頷いていた母が再び視線を私に移す。 「えっと…この名前、何か見覚えがある気がして…。」 やはりシドロモドロになった私は苦し紛れにそう答えた。 その言葉に、元気な看護士の顔がさらにパッと明るくなる。 「あら!もしかしたら記憶が戻る兆候かも!」 ニコニコと笑う看護士に罪悪感を覚えつつ笑みを返した。
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