私は、淑子

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君がみむねに 抱かれて聞くはー たくさんの、日本人と中国人、ロシア人の前で、今日も私は歌う。 私は、この観客席の三割を埋める人々と同じ日本人。しかし、私にはもう1つの名前が付けられていた。 李香蘭ー名前を付けられたその日から、数奇な人生は、幕を開けた。 私は、満州で生まれた。満州鉄道の社員だった父から、中国語を教わり、物心のついた時から、中国語を使っていた。 満州には、日本人に中国人、ロシア人など、様々な人種の人々が住んでいる。友達はみんな中国人で、短い付き合いだった親友は、ロシア人だった。その親友の紹介で、13歳の時に、ロシア人の女性教師から、歌を習い始めた。 努力を重ね、ついには地元のラジオで、歌を披露するまでに上達した。 そんな時、満州映画協会から、スカウトが来た。中国人向けの映画を制作していた協会では私に、中国語の芸名を付けることになった。
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