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いつものオジサンは、久しぶりに来てタバコを吸わなかった日からまた来なくなり、もう一年が経った。
店長はしばらくの間とても気にしている様子だったが、最近はようやくいつものオジサンの話題も消えてきたように感じる。
私は不思議と、いつものオジサンが来なくなったことに対して驚くことは無かった。なんとなく心の深いところでこうなるだろうと理解していたのだと思う。
「花瓶の水を入れ替えておいて」
「はい!」
私はいつものように店の準備をし、お客様を受け入れる態勢を整えた。
古い水を流し、新しい水を入れながら、私は考える。
花はいつか枯れる。
美しい時間は永遠ではない。
けれどこの花の美しさは私の記憶には残るだろう。
それでこの花は満足なのかな?
いや、この花からすればそんなことはどうでもいいのかもしれない。
この花にとっては普通に水を吸い、普通に栄養を回し、普通に大きくなり、普通に咲いた。
それだけでこの花にとっては幸せで、その幸せを勝手に周りが評価するだけの話なのだろう。
いつもの時間。
私は久しぶりに時計を見た。
その時扉が開く。
「もう、山下さんたら! お散歩の途中で寄り道しないでください!」
「たまにはいいだろう千鶴子や」
懐かしい声に私は目を奪われた。
低く、深い声だが、1年前より明るい。
「もう! 私は千鶴子じゃありませんってば!」
隣にいるのは近くの病院の看護師だろう。
ナース服が太陽を反射し、白く光っている。
いつものオジサンはイライラしている看護師さんの腰に手を当てながら、いつも座っていた席に案内し、そしてそのまま私の方を向いた。
「いつもの」
「かしこまりました」
私は視界がぼやけそうになるのを堪えながら、二つのコーヒーを淹れ始めた。
タバコは今日は要らないだろう。
机では「いつものではお店の人も分からないでしょ。すみませんね。呆けがひどくて」と言う看護師さんを、「大丈夫ですよ」と店長が宥めている。
そしてそんな様子をいつものオジサンはニコニコと楽しそうに見ていた。
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