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雨が傘の上で弾かれて、優しい声がする。
ピアノの鍵盤を叩いているように。
こんなところにも、ジャズがあった。
しっとりと濡れたアスファルトの上。
中島さんと、雨の足音を響かせる。
「実は、私、来月結婚するんです」
雨音にすっかり心が落ち着いてしまった私は、つい、打ち明けてしまった。
「そうですか。おめでとうございます」
中島さんは、にっこりと微笑む。
目尻にできる皺、それさえも愛おしい。
やっぱり、恋しているんだと思う。
「年下の彼なんですけど、本当に子供っぽくて。服は脱ぎ散らかすし、掃除と洗濯はできないし、料理も下手だし、マンガしか読まないし、中島さんとは大違いで」
「そんなことないですよ」
「いいえ。本当に、雲泥の差です。私、あいつのお母さんみたいですもん。だから、このまま結婚してもいいのかって、思うんです」
「なるほど」
中島さんは、おかしそうに笑い、どこか遠くを見る。
何かを思い出しているかのようだった。
「…すいません、こんな話…」
「いいえ。あなたのお話を聞いて、妻を思い出しました」
妻?中島さんって、結婚していたのか?
「てっきり、独身かと…」
「数年前に、亡くなりました」
彼は、悲しそうに目を伏せた。
「…すいません…」
「謝らないでください。懐かしくなったんです。妻も私より年上だったものですから」
「…そうだったんですか…」
「私もいつも彼女に甘えてばかりでして、とても子供だったんです」
中島さんが、子供?
「そんなこと、ないんじゃないですか?」
「いいえ。私があまりにも子供だったせいで、妻は自分には、弱みを見せてくれなかったんですよ。だから、妻が重い病気にかかっていることさえ、気づきませんでした」
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