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それから、数日。
中島さんが、ばったりとお店に来なくなった。
何かあったのだろうか。
事故とか、病気とか。
気が気じゃなくて、サイフォンのアルコールランプを倒してしまい、小さな火事を起こしてしまった。
近くにミユキがいて、すぐに火を消してくれたから、大事には至らなかったのだけれど。
「もう、恋だよね」
ミユキは、火傷した私の指先を氷で冷やしながら、あきれて笑った。
「恋…」
「それ以外、なんだって言うの?」
確かにそうかもしれない。
中島さんと話をしたくて、音楽を聴いたり、本を読んだり、会えないだけで仕事が手につかないとか。
「…でも、私、カズがいるし」
「知ってるよ。でも、落ちちゃったんだよ。恋」
そんな話をしていた矢先だった。
店のドアが開いて、
「こんにちは」
あの中島さんの優しい声がした。
あまりにも唐突すぎて、一瞬にして、顔が熱くなってしまう。
「い、いらっしゃい、ませ」
まるで、ロボットのような挨拶。
「いらっしゃいませ。お久しぶりですね」
私は使い物にならないと察したミユキが、代わりに挨拶をする。
「ええ。実は引っ越しの準備をしてたんです」
「引っ越し?」
「明日、遠くの街へ引っ越すことになりました。ここに来るのも、これが最後になります」
熱かった私の顔から、一気に血の気が引いていった。
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