普通列車

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 仄かな明かりの喫茶店へと、家まではまだ遠いので、ずぶ濡れの服のまま私は迷うことなく入ることにした。  林の中にポツンとある(笹井喫茶室)という名の喫茶店は、一階建てで、正面は頑丈そうだったが店内は明るく女性でも気楽に入れるような華奢な造りだった。カランカランと青銅の鈴の音が店内に鳴り響く。客は一人もいない。  テーブルが3つにカウンター席にイスが5つ。天井には中央しか付いていない照明があり、その照明のまわりにはガラスでできたチューリップの模造品が四方に付いている。カウンター席には黄色とオレンジの花が飾られていた。  私はカウンター席に向かった。席に着こうとしたら、奥から東洋風の店主らしい初老の男が現れた。 「いらっしゃいませー」  東洋風の男は皺の目立つ顔で、そう言って澄んだ音がする氷入りの水を持って来てくれた。  男は喫茶店の店主というより、易などの占い師のほうが似合っている。髪は白く後ろで結っていて、卵型の顔は皺が目立った。  私はびしょびしょの服で、客のいないカウンター席の隅に座るとメニューを捲る。 「あ、少々お待ち下さい」  そう言うと、店主は何に気が付いたのか奥に消えた。しはらくすると、コポコポと音が奥の方からして、淹れたてのコーヒーを私に持って来てくた。それと同時に、私のところまでコーヒーの芳醇な香りがしてきた。一瞬、私はずぶ濡れなのに雨宿りをしに来たことを忘れる。 「どうぞ」  何も注文をしていなかった。店主が雨宿りしに来た客にコーヒーをサービスしてくれたようだ。私はその芳醇な香りのコーヒーを味わった。適度な苦みと何とも言えない豊かなコク。コーヒーの熱さがそれらを一層際立たせる。きっと、一滴一滴と淹れてくれた。お金を出さなければ飲めないほどのコーヒーなのだろう。 「本当にありがとう。生き返りますよ。そして、うまいですね」 「ありがとうございます。当店自慢のオリジナルコーヒーです。一杯目は私の奢りです」  何も注文しないわけにはいかず、私はサンドイッチを頼んだ。  東洋風の店主はにっこりと笑った。笑うと顔の皺も優しそうにクシャっと笑った。  三杯目のコーヒーを注文する頃には、雨が小降りになっていた。東洋風の店主にお金を支払い外に出た。
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