赤い月

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 私は安浦の手を握って東京の渋谷に向かった。  電車の中では緊張しっぱなしだ。安浦も好きになってしまったのだ。車内では快適に走る電車は、祝日のためか今の時間帯は人が疎らだった。  渋谷の雑踏が心地よい。人々の行き交う景色を眺め、俺にも彼女ができたのか……。私は感慨深くなる心を踊らした。でも、私は呉林を……。 「ご主人様。朝食は?」 「まだだ。安浦は?」 「へへん。まだです」  少しピントが……ズレているのかも知れないが、とても可愛い彼女が出来た。思えば、この26年間。本当に何もしていなかった。恋人どころか仕事も。中村・上村には悪いが、一生懸命にやっていると言った仕事も、本当は真剣に打ち込んだことは私には皆無だった。  でも、今は違う。彼女も出来て……あ、呉林はどうしよう。やっぱり、今は仲間だと思って、食事のお礼ということにしようか? 取り敢えず、南米に行くために仕事にも精がでるようになった。 「ご主人様。知ってますか。渡部くんはこの辺りで歌を歌っていたんですよ」 「ふーん」  安浦は生き生きとした笑顔をしている。こんな笑顔は初めて見た。 「あたしは偶然出会って……。渡部くんったら、歌がうまいのよね。私も歌の練習をもちっと、しようかしら」 「俺はカラオケに行った時はないんだ。中村や上村は、あ、バイト仲間なんだが、二人は結構行っていたな。俺の娯楽は、まあ娯楽ばかりしていたが、パチンコと競馬が好きなのさ。中村や上村とは最近はプライベートではあまり会わないし。いつも一人で……」  歩道にあるキンモクセイの近くを通る。 「いいな。バイト仲間。あたしも独りぼっち。でも、あたしのバイトはお給料がとてもいいの」 「へえ。どんなバイトなんだ」  安浦はしばらく俯くと、 「メイド喫茶」  呟くような言葉だったが、私は合点がいった。 「それは……天職なんじゃ」  安浦は急に微笑んで、 「あたし。人をもてなすのが好きなの。大好き。小さい頃から……」 「そうなのか。俺はメイドとかよく知らないが……。ま、いいか」  安浦は顔をパッと上げた。 「ご主人様! 大好き!」  私の手を思いのほか強く握り、私も柔らかく握り返した。  そんな二人の後を何かが走ってきた。 「あぶねえぞ! コラァ!」  私は咄嗟に安浦の手を引張り、こちら側に引き込んだ。
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