1話

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わたしはちょっと憂鬱になった。 たかが飲み物の好き嫌いでなぜ、本当のことが言えないのか。答えは簡単。私は誰からも、嫌われたくないからだ。 ささいなことで人とぶつかり合いたくないから、自分の本当に感じることはいつも後回しにして人に合わせ、愛想笑いをする。 そうやって、自分の想いを閉じ込めるうち、だんだんこの息苦しさが普通になってきた。 私は会社で働くようになってから、もう何年もこんな生き方を続けてきていた。 口に含んだブラックコーヒーは苦くて、渋くて、私はその刺激の強い液体をなかなか喉に通したくないから、黒いコーヒーは口の中でしばらくたゆたっている。 それを、ごくん、と飲み込んだ後にも舌の上にビリリとした刺激をお土産においていってくれるもんだから、ありがたくない。 だけど、いまさら上念さんに、まずいのを我慢して飲んでいるなんて、言えない。だって、上念さんの優しさと気遣いはすごくありがたいのだもの。 上念さんは、いわゆるいい人だった。 とびぬけて賢いわけでもなく、スポーツ万能でもなく、職場の人望もほどほどにあって、ほどほどに無い。 ぱっとしたところも無いし、目を惹くようなハンサムでも無い。だけど、のんびりしていて、人柄のいい人だった。 女性たちの噂によれば独身で、彼女もおらず、一人暮らしらしい。 それに上念さんにはなんとなく、このままずっと結婚もせず、ヨレっとしたおじさんになってしまいそうな気配も少しある。そこまで言っちゃ、失礼か。 「花村はなんで、今回の企画コンペ参加しないの?」 上念さんが聞いてきた。それは、私にとって痛いところを突かれる質問だった。 「それは……。」 私は言い訳を探して空中をさまよった。 適当な理由が屋上の酸素と一緒に浮かんでないかな、と思ったんだけど。
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