第1章

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「じゃあ……いただきます」 「はい、冷めないうちにどうぞ」 彼女がそっとレモン果汁と少しの蜂蜜をカップに垂らしてスプーンでかきまぜ、香りをかぐ。それから口をつけて一口飲んだ。 「おいしい……」 コーヒーの香味と、爽やかでいてどこか懐かしい味わいに、思い詰めたように固かった彼女の表情がほうっとやわらぐのが分かった。 「すごいですね、こんなおいしいコーヒー初めて飲みました」 「ありがとうございます。閉店時間は決まっていませんので、ごゆっくり休んでいってください」 彼女の素直な感嘆に、心から微笑んで答える。客商売だから、常に穏やかな話し方を心がけていたけれど、なぜだろう、今までに出したことのないほど優しげな声が出た。 彼女は二十代半ばくらいだろうか。控えめなレースのついた白いブラウスにベージュのスーツを着ている。顔立ちは地味でも派手でもなく、薄化粧が透明感のある肌を引き立てていた。 「……あの、ここは煙草吸えますか?」 「はい、大丈夫ですよ。ただ今灰皿をお持ちします」 ちょっとした上目使いが、顔より若く聞こえる声と合わさって可愛く見えてしまう。不思議に思いながら厨房に戻り、臭い消しにコーヒーを淹れた残りの粉を盛った灰皿を用意して彼女の席に戻った。 「お待たせいたしました」 「ありがとうございます。……何だか、すごく丁寧なんですね」 「個人営業ですから、自由にできてるだけですよ。でも、そう言って頂けると嬉しいですね」 「自由……いいな、落ち着きます」 何か訳ありでさまよい、訪れたのだろうかとも思ったけれど何も訊かずに笑みを返す。彼女はベビーピンクのシガレットケースから細い煙草を一本取りだし、口にして火をつけた。深く煙を吸い込み、ゆっくりと吐き出す。ため息のような動作の後、目蓋を伏せた。 「……このお店、素敵ですね。BGMもなくて静かで……席を立つのが嫌になりそう」 「ありがとうございます。喫茶店冥利に尽きます」 言い回しがおかしかったのか、彼女がくすっと笑ってカップを口許に運んだ。一口ひとくちを大事そうに飲む姿は心を温かいもので満たした。 ──それから、彼女は毎晩同じ時間に来店するようになった。始めの何度かは彼女が注文したコーヒーを出していたけれど、いつしか、その時のお勧めに任されるようになった。 彼女はいつも喜んでくれた。
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