第1章

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お勧めで任されるようになったのは、彼女が目の下に隈を作って訪れた夜だった。 「こんばんは、いらっしゃいませ」 「……こんばんは」 声には力がなかった。奥の窓際の席に座り、メニューを見るというよりは、ぼんやりと眺めている。 「今夜は僕のお勧めにしてみませんか?」 だから、申し出た。彼女は、その言葉にはっと顔を上げて「じゃあ、お願いします」と答えた。そこには微かな期待が生まれていた。それを嬉しく感じながら厨房に入った。 深煎りの豆を挽いて丁寧に淹れる。仕上げにリキュールを垂らして、生クリームを乗せた。 「お待たせいたしました」 「……カプチーノですか? あれ、でも香りが……」 「カフェ・カルーアです。気持ちがやわらいで眠りやすくなりますよ」 彼女はカップを見つめていた。絡まって止まってしまっていた心のなかの何かが、ふつりとほどけたようだった。それが、彼女の瞳から分かった。 「……お医者さんみたい。私のこと、一目で見抜いちゃうなんて」 少し表情を明るくして、スプーンで生クリームをかき混ぜてからカップに口をつける。凍えた何かを温めるように、両手でカップをおし包みながら飲んで深く息をついた。 「……おいしい。カルーアミルクなら飲んだことあるけど、香りが全然違いますね」 「ありがとうございます。今夜は眠れそうですか?」 「はい、こんなにおいしいお薬を飲めたら、嫌な夢も跳ね返してくれそうです」 「よかったです。どうぞごゆっくり」 ほんのカップ一杯分の元気。それをもたらすことができて、笑顔が自然とわいてくる。彼女はもう一口飲んで、一瞬動きを止め、それから顔をこちらに向けた。 「……あの、私コーヒーには詳しくなくて。これからはマスターにお任せしてもいいですか?」 喫茶店を始めて10年以上になるけれど、メニューを任されるのは初めてだった。大抵の客はお気に入りのコーヒーを見つけるまで何度か違うコーヒーを注文して、それからは「いつもの」と言うようになる。 でも、彼女の些細な変化を見てとり、そのときに合ったコーヒーを淹れることは面倒だと感じない。むしろ、楽しみになってきた。 「構いませんよ、やりがいのある仕事になりそうですね」 「ありがとうございます、早く明日にならないかなって思えてきました。明日のコーヒーが楽しみ」 彼女が顔をほころばせた。
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