黄昏に佇むもの

2/4
前へ
/4ページ
次へ
その女(ひと)は、雨上がりの夕暮れ、皆が傘を畳んで家路を急ぐ人ごみの中、駅前の交差点に佇んでいた。 赤い傘をさし、赤い服、赤い靴を履き、ぼんやりと歩みを止めていた。 歩者分離型の信号はすでに点滅を始めており、俺は思わず声をかけていた。 「信号、変わりますよ。」 彼女がこちらを振り向くと、黄昏は傘を通して彼女を赤く包み、一瞬姿が揺らめいたような気がした。 黄昏、「誰そ彼」と尋ねる由来を見たような気がした。 人であろうか。 そう思うほどに、その女は浮世離れして美しかった。 「すみません、ぼんやりしていました。」 そう微笑んで、女は歩み始めた。 渡りきったあとも、まだ傘をさしていたので、俺は、 「雨、止んでますよ。」 と彼女に告げると、微笑を返すだけで、彼女は傘を畳まなかった。 「私、日に焼けると、肌が傷むんです。そういう皮膚の疾患を抱えてて。」 余計なお世話だった。俺が無礼を詫びると、いいんですよと彼女は微笑んだ。 一目惚れだった。俺は、迷わず、彼女の名前と、連絡先を聞いた。 俺だけが感じたのかもしれないが、これは運命だと思ったのだ。 正直こんなあからさまなナンパが通用するとは思わなかったが、なんとあっさりと彼女は俺に教えてくれた。 俺は、帰りの道すがら、ガッツポーズを禁じえなかった。 半年前、無職になった俺は、職とともに長年付き合った彼女も失った。 そりゃそうだな。長年付き合って、そろそろ結婚という時期に来てのいきなりの無職だ。 そんな前途多難な結婚より、目先の幸せに飛びつくのは当たり前だ。 今では彼女は、俺の同僚だった男と幸せに暮らしている。 そんなしがない無職の俺は、職探しの帰り道であった。 無職の男に、女がなびくはずもない。 ずっとそんな諦めの生活の中で、俺は職探しにやっきになっていた。 恋愛どころではなかったはずだ。しかし、彼女は俺を惹きつけて止まない何かを持っていた。 魔性。見た目の派手さは無いけど、そう感じた。
/4ページ

最初のコメントを投稿しよう!

10人が本棚に入れています
本棚に追加