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その女(ひと)は、雨上がりの夕暮れ、皆が傘を畳んで家路を急ぐ人ごみの中、駅前の交差点に佇んでいた。
赤い傘をさし、赤い服、赤い靴を履き、ぼんやりと歩みを止めていた。
歩者分離型の信号はすでに点滅を始めており、俺は思わず声をかけていた。
「信号、変わりますよ。」
彼女がこちらを振り向くと、黄昏は傘を通して彼女を赤く包み、一瞬姿が揺らめいたような気がした。
黄昏、「誰そ彼」と尋ねる由来を見たような気がした。
人であろうか。
そう思うほどに、その女は浮世離れして美しかった。
「すみません、ぼんやりしていました。」
そう微笑んで、女は歩み始めた。
渡りきったあとも、まだ傘をさしていたので、俺は、
「雨、止んでますよ。」
と彼女に告げると、微笑を返すだけで、彼女は傘を畳まなかった。
「私、日に焼けると、肌が傷むんです。そういう皮膚の疾患を抱えてて。」
余計なお世話だった。俺が無礼を詫びると、いいんですよと彼女は微笑んだ。
一目惚れだった。俺は、迷わず、彼女の名前と、連絡先を聞いた。
俺だけが感じたのかもしれないが、これは運命だと思ったのだ。
正直こんなあからさまなナンパが通用するとは思わなかったが、なんとあっさりと彼女は俺に教えてくれた。
俺は、帰りの道すがら、ガッツポーズを禁じえなかった。
半年前、無職になった俺は、職とともに長年付き合った彼女も失った。
そりゃそうだな。長年付き合って、そろそろ結婚という時期に来てのいきなりの無職だ。
そんな前途多難な結婚より、目先の幸せに飛びつくのは当たり前だ。
今では彼女は、俺の同僚だった男と幸せに暮らしている。
そんなしがない無職の俺は、職探しの帰り道であった。
無職の男に、女がなびくはずもない。
ずっとそんな諦めの生活の中で、俺は職探しにやっきになっていた。
恋愛どころではなかったはずだ。しかし、彼女は俺を惹きつけて止まない何かを持っていた。
魔性。見た目の派手さは無いけど、そう感じた。
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