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女は、改めて豆を炒り直すと、おもむろにタバコをふかし始めた。
ブレンドしたタバコの残りである。その陰は、昔懐かしかった男をも
の憂げに思い描くように、ポケットから、けだるく滑らかにライター
をとりだすと、脱力した肩で火を取った。そして、つぶやく。
「いつの間にか、わしもタバコ吸うようになってん。」
「そうか。お前も、ついにか。」
「あんな、ちょっと、話があってん。」
「その頃だと思った。」
男は、そう返答すると、所在なさげにこういった。
「コーヒーはまだか?」
「あ、ちょっと、待ってん。手差しでなら、そこまでかからへん」
「いや、いいから、飲んどいて。わし、出社時間やったわ。」
女の仕込んでいた豆が煎りたてられた合図と、ほぼ同時だった。
「いってらっしゃ…。」
また、言われへんかった。夫婦なのに、互いに告白もままならぬ、少
し寒い春だった。
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