第1章

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 缶コーヒーを飲むことができなかった右腕といえば、することがないのでホームをぷらぷらと散歩していたところ、右脚が蹴り上げたいらないものの塊に行き会い、そのなかから一本の鉛筆を見つけていた。暇つぶしには丁度いいと、それで駅のいたるところに悪戯書き、といっても絵心がないので文章を書き始めた。しかしながら、頭から切り離されているため思考力が著しく低下しており、書き出される文章は要領を得ないどころか支離滅裂で破綻しており、無作為につづられる無意味な言葉は無価値に等しく、均一さを欠いたその羅列は不用な夾雑物として駅構内で錯綜し、改札口や電光掲示板で混迷し、泥にまみれた切符と落し物の定期券の間で歪んでいたが、待合室で退屈していた子どもに発見されたことで、最も純粋な形状に留まることができた。  観葉植物の鉢植えに記されていた文字を目視した子どもは、「母上、母上! この絵図、如何なるものか」と、始終スマートフォンの画面に顔を向ける母親に問いかけた。母親はちらりとそれを一瞥し、「ただの悪戯書きよ」と口にして小さく舌打ちをした。その返答に得心のいかない子どもは、鉢植えの方へにじり寄り、慎重に屈みこんでまんじりと観察した。その絵図は、心中散々群れ情け、と記されていた。それは子どもがよく読む漫画と比べて線の書き込み量は明らかに少なく、この絵図がどんなシーンを表したものなのかよく分からなかった。しかし、単純な組み合わせだからこそ子どもにとって目新しく、第七感を手に入れたかのように世界を広げさせた。顔を上げ辺りを見渡してみればそこら中に、新宿行、トイレ、駆け込み乗車はやめましょう、あったかい、梅まつり、と幾種もの絵図が記されていたのであった。興奮を隠すことができず、その絵図を片端から見ていったちょうどその頃、ホームに新たな電車が到着した。(つづく)
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