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だがケンジロウは足を止めただけで振り返りはしなかった。
『ご贔屓にしていただくのはありがてぇが、俺が売るのははしりだけ。俺を売るつもりはねぇ』
感情のこもっていないケンジロウの声に彼女は唇を噛みしめる。いつもこうやって想いを拒まれる。拒まれれば拒まれる程、募るのが恋心。彼女はケンジロウに駆け寄りその広い背中に顔を埋めた。
『うちがお前を買うんやない。うちがお前に買われるなら…』
ケンジロウが振り返り彼女は言葉を遮られた。ケンジロウは彼女の頬に手を伸ばすと悲しげな瞳で見つめていた。
『自分を売るような、安い女になるな』
『…』
今まで聞いた言葉以上に、ケンジロウの言葉は感情がこもっていた。その感情が何なのか、彼女には痛いほど分かる。
「界隈」では男は女の「言いなり」と呼ばれ虐げられて生きている。「屋号」を手にするまでケンジロウもそう生きてきたはず。だからこそ、彼の言葉には重みがある。
そしてそれは女である自分を、ケンジロウが決して受け入れはしない。そのことを物語っていた。
『ケンジロウ』
『またな』
ケンジロウはそう言って微笑むとバイクで夜の闇の中へと消えて行った。
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