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私はその鳴き声に微笑みかけながらケトルに水を注ぎ、コンロへ置く。沸騰するまでの時間に水回りを綺麗にした。
しゅんしゅん。ケトルの口から細い湯気が出始めると、上のキッチン棚を開けた。中には調味料や竹串に囲まれて、コーヒー豆の絵が描かれた紙袋があった。
昨日届いた、新鮮な豆。
ずっと、あの人が使ってきた豆。
柔らかで丁寧に封をされたそれを解いた。その途端、豆の香が立ちのぼった。
ふんわりと、いい匂い。鼻をくすぐる、いい匂い。
「卵料理は下手なのに、パンは美味いな」
私の手作りのパンを頬張りながらお気に入りのカップでコーヒーを飲む丸い背。抜け毛を気にし出した白髪の頭。節くれだってもう指輪のはめれなさそうな指。
店が休みの日は、決まって窓際の木が見えるテーブルに座り朝食を食べていた。
淡くも強い日射しの中にどっしり太った体を入れて、コーヒーをすする。
「しかしなぁ、お前のパンと俺のコーヒー、ちょいとズレてるな」
そう言いながらパンを頬張る。
じゃあコーヒーの味を合わせなさいよ。
私がそう言い返すと決まってあの人はこう言った。
「ズレているから噛み合うこともある」
ぺろっと食べ終えてから俺はこんがり焼いてあるのが好きなんだがなあ、と呟いていた。
シューッシューッ、とケトルが喚いた。はいはいもうちょっと待ってね、と私はケトルに話しかけながら豆を挽き、ぎこちない仕草でコーヒーを淹れた。
見よう見真似で淹れたコーヒーは、ちょっとばかし苦すぎた。あの人のコーヒーは、苦みの中に少し酸味があり、深いが後味がすっきりとしていた。
これは常連さんに気づかれるなあ。
カップを両手に包みながら窓の外を見る。
空は高く晴れ渡り、飛行機雲が尾を引いていた。
もう一口コーヒーを飲んで息を着くと、久しぶりの開店準備を始めた。テーブルを一つ一つ拭き、メニュー表にモーニングと日替わりランチ、今日のおすすめを書いていった。カラフルな枠でそれらを囲い、一番下に本日再開ありがとう、と迷いながらも書いた。
それを店の外へ出しに行くと、もう人が来ていた。
いらっしゃい、おはようございます、ええ、ありがたいことに。
来客のベルが響き渡る。
小鳥は静かに飛び立っていった。
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