岬にて

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「気を悪くされたのならすみません! 岬で初めて気がついて」 こんなことは日常茶飯事だ。 『天下の東條グループの秘蔵っ娘に、鳴り物入りで婿入りした、秘書上がりの一社員。 実は二人は幼なじみで……』 覚悟していたとは言え、 結婚の時のメディア報道と記者の無遠慮な取材には、辟易した。 離婚騒動は輪をかけて、写真週刊誌にまで追い回され、あることないこと書かれて酷いものだったが、 最近ようやく、下火になってきたところなのだ。 だが、どう見ても一般人の和美が、自分の顔まで知っていることが解せなくて、 憮然としながらも友弘は尋ねた。 「何で俺を知ってるんです」 「……去年まで私、銀座でホステスしてて。 一流企業のお客様も多いから、話について行けるように、経済誌とかいっぱい読んで勉強して。 日本の未来を担う若き二人、って、どんな雑誌にも必ず奥様との写真が載ってたから……」 「……で、婿入り先を追い出された哀れな秘書に、同情してくれた訳だ」 「……そんな言い方……」 それから友弘は黙々と、ただ食事を口に運んだ。 投げ遣りになっている訳じゃない。 ただ、見ず知らずの自分に掛け値なしに気を配ってくれたと思っていた相手が、 実は自分を知っていたことで、 なぜか少しだけ、気落ちしている自分がいる。 こんなことは、この間まで、当たり前のことだったのに。 和美は、所在なさげにうつむいていたが、ようやく顔を上げて、上目遣いに友弘を見た。 「お店でお見かけしたこともあったし……。 あ、おばちゃんには話してませんから、あなたのことは」 大人げない自分の態度にも嫌気がさして、 友弘は、仏頂面ながら口を開いた。 「……何て店? 銀座の」 「『胡蝶蘭』です」 『胡蝶蘭』。 ホステスやバーテンダーの教育が行き届いていることで知られる、老舗の一流だ。 「……銀座の一流ホステスさんが、こんな所で何してるんです」 「この子を授かって辞めたんです、ホステス」 「……」 「……できるだけ、この子のそばにいてやりたくて。昼も夜も。 この子には私しかいないから。あ、私シングルマザーなんです」 「……」 「でもね、この子、一也っていうんですけど、よく寝る子で助かってるんですよ! ……どうでもいいですよね、こんな話。はは」
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