岬にて

9/11
前へ
/11ページ
次へ
懸命に話題を変えようとする和美に、他意がないことは見て取れたが、 それがなおさら友弘に意地悪な言葉を吐かせた。 「父親は?」 「この子が生まれる前に他界しました。でも子供の頃から、入退院を繰り返してばっかりのあの人をずっと見てきたから、覚悟はできてたし」 ……子供の頃からの付き合いの相手。 ふと自分と綾子を重ね合わせて、友弘は苦笑した。 綾子も子供が欲しいと言っていた。 友弘は、旅行と同様、のらりくらりとその話題を避けてきた。 綾子の心を得られなくても、子供を挟んで家族としての関係を築く選択肢だってあったのに、 友弘はそこに足を踏み入れるのをためらった。 結局は心のどこかで、逃げ出したかったのかもしれない。 「でも、ホステス辞めて良かったと思ってます。 そりゃ生活は苦しくなったけど、朝陽も、夕陽も、この子と一緒に見ることができる。 お陽様の下で散歩できる。 お陽様の光って、すごいですよね。なんか、本当に力が湧いて来るでしょ」 光溢れる笑顔で、和美はそう言った。 「お陽様か。……そうだな」 暗い水底に沈めていた、子供の頃の記憶。 本当は明るかった海水浴の記憶を、 暗い海の底から取り出して、もう一度光を当ててやりたくて。 ここに来たのは、そのためだったのかもしれない。 綾子の記憶の中にいるのは兄貴だけじゃない、 俺だって、そこにいるのだ。 まばゆい夏の光の中で、 綾子の隣で弾けるように笑っていた自分も、そこに、きっと。 「……うぇ……うぇ~っ……」 「あ、一也、起っきしちゃったか~、よしよし」 和美が子供を抱き上げる。 綾子との間では、見ることのできなかった光景。 なのに不思議と痛みはなく、むしろ力強く暖かな光が灯るのを、友弘は感じていた。
/11ページ

最初のコメントを投稿しよう!

12人が本棚に入れています
本棚に追加