袋小路

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良弘に連れられ、共に立ち止まった路地の奥で、 綾子は息を呑んだ。 「いい雰囲気の喫茶店だろ? この辺よく来るのに、行き止まりにあるからこれまで全然気づかなくてさ」 「ここ……」 「何? なんかまずいのか?」 「……ううん」 変なところで好みが似ている。 良弘も、友弘も。 兄弟ってそんなものなのかもしれない。 未だに蘇る胸の軋みを静かに迎え入れるように、 綾子はベルのぶら下がるアンティークなドアに、ゆっくりと手をかけた。 窓際の席で向かい合い、蔦の絡まる窓越しに、夕暮れのビル街を見上げる。 風に揺れる蔦の葉の隙間からタワーが見え隠れする、 あの頃のままの風景。 「まだ暑いな、喉乾いた。 俺、レモンスカッシュ。お前は?」 「……キリマンジャロ。ホットで」 あの頃。 良弘の弟の友弘と、綾子とが送った三年間の結婚生活は、 二人でゆっくりする時間などほとんど取れなかった。 だが会社では綾子は役員として、友弘は有能な秘書として、 行動を共にすることも多かった。 仕事で綾子と連れ立って出掛けると友弘はいつも、 『ここは美味いって評判なんだ』 と、分刻みの移動の合間に無理矢理時間を作って、綾子を喫茶店に引っ張り込んだ。 そのくせコーヒーが苦手で、いつも柑橘類のジュースを注文し、 おまけに、グラスに添えられた果実の切片まで綺麗に平らげる。 『せっかくコーヒーの美味しい喫茶店に来てるのに、子供みたい』 綾子が笑うと、 『好みなんて人それぞれだろ』 と、その時だけは秘書から夫兼幼なじみの『友にぃ』に戻って、ふてくされた顔を見せた。 今なら綾子にもわかる。 友弘が綾子に、少しでもくつろぐ時間を与えようとしてくれていたことを。 「お待たせしました」 落ち着いた木目の丸テーブルが、コトリ、と揺れる音に、 綾子ははっと我に帰る。 自家焙煎のキリマンジャロの香り。 縁にレモンの輪切りが添えられ、炭酸の泡が小気味良く立ち昇るグラス。 綾子が友弘と、数少ないくつろぎの時間を、 そして最後の時間を過ごした、同じこの場所で、 同じ飲み物を前にして。 今度は、良弘との時間が、穏やかに過ぎていく。 良弘がグラスからレモンを摘まみ上げて、かじる。 綾子がふっ、と笑う。 「子供みたい」 「へいへい、すみませんね、お行儀悪い子供で」 そんなところまで似ているから。 綾子はたまらず目を伏せた。
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