2人が本棚に入れています
本棚に追加
先生は美味しそうにコーヒーを飲んでいた。
「うーん。美味しい。仕事をするのはこの1杯のコーヒーのためって感じ」私の方を見ながらカップを顔の高さに持ち上げた。
「先生、それを言うならビールでしょ?」つい、笑ってしまった。
「やっと笑った」
「え?」
「なんだか元気がないし――違う?」
どきっとした。先生はいつもなんてことないように見えて人を観察している。けれど、この思いには気づかないでほしい。
「論文が難しくて。それで難しい顔になっていただけですよ」
「ならいいんだけど」
そう言うとまたひとくち、コーヒーを口に運んだ。
「他の先生は元気ですか?」
「ああ。みんな相変わらずだよ」
頬杖をついて私を見る先生。私はその左手にある指輪に気づいてしまった。
「どうした? 宇多川さん」
「いえ、別に」
カプチーノを飲んでごまかす私。
「宇多川音羽」
「なんですか? 急にフルネームで呼ぶなんて」
「さっきから堅いよ」
笑いながらそう言うとタバコを取り出した。
「先生、タバコ吸うんですか?」
「みんなには秘密だよ」
「そんなんじゃ医者の不養生って言われますよ」
「だから言っただろ? みんなには内緒だって」灰皿に灰を落としながら言った。
阪井先生は私が中学生の頃入院していた時の先生だ。
もうずいぶんと前のことなのに顔も名前も覚えていてもらえて嬉しかった。
今日会えたのはある種の運命だろう。
先生は仕事で忙しく、めったに休みなんか取れないのは知っているし、私も毎日学校のレポートやらで忙しい。こんな私達が偶然会えたのは奇跡に近いのかもしれない。
それに、大切なことも知ることが出来た。
私はカプチーノを飲み干すと、お金を置いた。
「宇多川さん、もう行くの?」
「はい。私、医者の卵なんで。――先生に追いつくにはもっと頑張らないと」
私は笑った。
「今、医学生? そりゃ将来楽しみだな」先生は嬉しそうに言った。
「じゃあ、同じ医者として会える日を楽しみにしてるよ」
手を差し伸べる先生。私はその手を握った。
最初のコメントを投稿しよう!