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「ここがアマデウスの部屋……」
「予想とは違った?」
入り口近くで立ち尽くす大和の肩に腕を回しながら、有栖川はなんとも芝居がかった様子で胸ポケットからハンカチを取りだすと、「ここに来ると、彼との思い出が蘇ってくるよ」と言って、特に涙は出ていない目元を抑え、鼻をかんだ。
たしかにそこは、アカデミーのスター、アマデウスの部屋にしては少し物足りない部屋だった。部屋の造りは、ほかの部屋と同じく、六畳ほどの室内にミニキッチンとシャワールームがついている。僕の部屋と違うのは、角部屋だけあって東の壁に大きな出窓があるくらいだ。
だが、そこに置かれているのは簡素なベッドと一組のソファと机、楽譜と本がぎっしりと並べられた本棚、そしてよく手入れされ磨かれたアップライトピアノだけだった。その他の家具や調度品といえるものはほぼなく、物のない、モデルルームのような部屋だった。
靴を脱いで部屋の中に足を踏み入れると、一度に数種類の香でも焚いたような複雑な匂いがして、僕は眉をひそめた。
「たしかに彼は派手好きな男だったから、私も初めてこの部屋に来たときは驚いた。でも、彼はめったに他人を自分の部屋に入れない男だったから、逆に言えばこれが、彼が人にはほとんど見せることのない、本当の自分だったのかもね」
「この部屋に入れるのは、彼の友達の中でも限られた人だけってことですか?」
「たぶんね」
室内はアマデウスが死んだときから何も動かしていないようだった。ベッドの上のシーツは乱れ、テーブルの上には口の開いたワインボトル、そのすぐ下には割れたグラスの破片と、零れ落ちたワインの、血だまりのような赤紫の染みができていた。部屋に入ったときに感じた匂いの原因はこれだったらしい。
「アマデウスは倒れたときにどっかに頭でもぶつけたのかな」
僕はベッドにわずかに残る血の跡に触れてみた。乾ききった黒い血痕は今では白いシーツの柄となっていて、生々しさがそのまま横たわっているようだ。
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