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「保険医の似内先生が病死と診断したんだ。これ以上根拠のある証拠なんてないでしょ。でも……」
有栖川は言葉にするのを少し躊躇するように眉をひそめた。
「でも?」
「誰にも言ってないんだけど、実はこの部屋に入るとき、入り口のところで誰かとすれ違ったんだ」
「部屋から出てきた人物とってことですか?」
「そう。だけど顔は暗くて見えなかった。ほら、廊下の電灯が切れちゃってるでしょ? あれは私が思うに……」
有栖川はどこか鬼気迫るような目つきで息を吸った。部屋の中を張り詰めた空気が覆う。
「アマデウスの魂だと思う」
「は?」
「天に昇るアマデウスの魂とすれ違ったんだよ。彼は私が発見する直前に息を吸い取ったんだ」
これがコメディ映画だったら、その場でズッコケていただろう。隣でも僕と同じように大和も脱力していた。
「アマデウスに恨みを持っていた人物に心当たりはありませんか」
「恨みを持っていた? うーん。まあ、しいてあげるとすれば、行天の恋人だった鈴木蘭世かな」
「恋人?」
有栖川は頷いた。
「そ。声楽科の三年生。さっきも言った通り、アマデウスはひどい浮気性だった。恋人がそれに殺したくなるほど悩んでいたっていうのは、演劇ではよくある話だ。さてと、そろそろいい?」
どうやら遺品の整理が終わったらしい。寮を出ると、有栖川は大和にちゃっかり自分の連絡先を渡すのを忘れなかった。
「演劇部のオペラに挑戦したいと思ったら、ぜひここにメールして」
それじゃ、と歩き出した有栖川を「あの!」と大和が呼び止めた。
「なにか?」
「最後にひとつ、聞き忘れていたことがあって。アマデウスは部屋に花を飾るような人でしたか?」
「あの部屋を見たでしょう? 生活に彩りをなんて、まったく考えてないタイプだよ」
有栖川は今度こそ「じゃあね」と言って、校舎の角に消えていった。
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