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「よくわかってるじゃねぇか…なぁ、珈琲飲むか?」
「…こー、ひー…?…ああ、あのゲロ苦いだけの黒いやつか。いらねぇや、俺あれ嫌い」
「どうせ人工で作られた店に置いてあるやつしか飲んでねぇだろ?」
にんまりと勝ち誇ったように笑う爺にムッとして、少年は訝しげに睨む。
「いいか、坊主。おまえが飲んでる珈琲は、いわば水蒸気とか電気とかの、おまえが言う偽物なんだ。珈琲にも本物があんだぜ」
背を向けた爺は、カウンター奥にある、何やら大仰で古めかしい機器を取り出し、黒い缶の蓋を開けた。路地に微かに感じたほろ苦く香ばしい香りが強くなる。
「何それ」
覗き込むと、大切そうに爺は、その缶から、小粒の黒いものを、機器に注ぎ込んだ。
「豆だ。この飲み物の種だ」
ガリガリガリガリ、とレバーを回している。また香りが強まる。豆を砕いているらしい。
「なぁ、飲み物のむんだよな?」
「そうだよ、飲み物を作っているんだ」
「まじかよ…朝になっちまうんじゃねぇの」
少年は、まぁいいか、と笑い、見たことのない作業をする爺を観察していた。爺は実に丁寧な動きで、細く細くお湯を注いだり、何もせず待ったりしている。
「こんなに手の込んだ飲み物、見たことねえよ」
「だろ?珈琲はな、時間の飲み物だ。時間を、香りにして、体の中に染み込ませるんだ」
銀のカップに注がれた一杯がカウンターに出された。柔らかい香りが温かさとともに鼻先を転がった。
「いただきます」
一口飲むと、爺の手の動きひとつひとつを噛み砕くように、甘みやら酸味やらが溶け合って、豆の苦味とともに体に渡って行く。驚いた目を爺に向けると、それだけで伝わったのか、満面の笑みで爺は自分のカップに注いだ珈琲を飲むのだった。
「珈琲はな、こだわりを持てる人間に与えられた贅沢なんだ…俺はな、おまえも珈琲に選ばれた人間だと思ったんだ」
少年は恥ずかしそうに、少し幼さすら見える照れ笑いを浮かべた。
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