君のいる未来

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今はみんなに嫌われて、歌っていても楽しくない。苦しいだけだ。 「もう。なんで私なんか指名したんですか?全然ハイベーなんて出ないし。」 「…本当言うと、好みの問題。」 ボソッと呟くように言った先輩の言葉に目が点になった。 「はあ?!」 「何森の声質がいいなと思って。その声に合う曲がなかなかないなと思ったから、作ってみた。 つまり、この組曲はおまえのために作ったんだ。だから、おまえ以外の奴が歌っても意味ない。」 ”作ってみた”なんて簡単そうに言ったけど、合唱曲を作るのはそんなたやすいことじゃない。 楽譜は4部のパートとピアノの伴奏まですべて先輩の手書きで、パソコンで作ったんじゃないことがわかる。 「いったいいつから作ってたんですか?推薦とは言え受験で大変でしたよね?」 今更だが不思議になった。そんな時間がどこにあったのかと。 「去年の夏合宿から帰ってからかな。合宿中、ランニングしてる時におまえを見てて詞が浮かんだんだ。」 曲だけじゃなくて詞も私のために書いたってこと? 猛烈に恥ずかしくなって、でも凄く嬉しくて。 組曲のタイトルは『君のいる未来』。 風とか山とか太陽とか雄大な自然を歌っているから、『君』っていうのは人類を指しているんだと思っていた。あるいは自分の子孫みたいな。 でも、もしかして私のこと?なんて思ってしまった。そんなはずないけど。 「何森のしっとりとした落ち着いた声はアルトの音域で存分に発揮されるんだけど、高音もトゲトゲしないで伸びやかだから、ついついソプラノで書いちまったんだ。 だから、この高音を歌ってほしいっていうのは俺の我がまま。」 「でも、このメロディー、私好きです。繊細で綺麗。」 ソロパートのメロディーは、本当に男子高校生が書いたんだろうかと思うほどリリカルというかロマンティックだった。 「うん。俺も気に入ってる。」 「ちゃんと歌いたいです。出来るものなら。」 作曲者の意図を汲んで。命を吹き込むみたいに歌えたらいい。 一生先輩が私のために作ったと言ってくれたことで、私の中に欲が生まれた。 私が歌いたい。他の誰かに歌われるのは嫌だ。そんな欲。 「出来るよ、おまえなら。だから、一緒に作り上げよう。」 合唱曲なんだから部員全員の歌と伴奏のピアノとで構成されるのに、一生先輩に見つめられたらタクトを振る先輩とソリストの私の2人だけの世界のような気がした。
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