プロローグ

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引越しをしたのは、恋人と別れたからだ。彼の家で同棲していたから、出て行かざるを得なくなった。 会社を辞めたのは、上司と付き合っていたから。それでも彼の浮気相手が同じ課の後輩で、出くわしてしまった浮気現場が選りに選って私のデスクじゃなかったら、仕事を続けていたかもしれない。 生まれ育った東京を出て茨城に来たのは、親戚も友人もいない場所だから。私を知る人が誰もいないところで、違う自分になりたかった。 丸の内の大手商社でOLをしていた私は、今、従業員18名のクリーニング工場で働いている。 「健康管理センターまでお願いします。」 タクシーの運転手にどちらまで?と聞かれて答えたら、運転手は首をひねった。 8時半にうちのアパートまで来るようにと予約の電話を入れた時にも同じことを答えたのに。予約係から運転手へ事前に行き先を連絡しておけばスムーズに事が運ぶのに。 内心のイラつきを抑えながら、センターの場所を説明しようとしたら、 「ああ、南町の?」 とのんきに聞かれた。 「そうです。」 やっと走り出した車の中で、ホッと座席の背にもたれる。 笠井に来て3か月の私に道案内しろと言われても困る。 運転免許を持たない私だから尚更だ。 東京では自家用車なんて必要なかった。バスと電車でどこへでも行ける。 でも、こっちでハローワークに通い始めて、一番ネックになったのは免許がないことだった。 仕事に必要だと言うよりも、車がなければ通えないということの方が大きい。 結果、”自宅から自転車で通える範囲内で運転免許のいらない仕事”に絞り込まれてしまった。 当然、正社員の口を探したけどパートしか見つからず、しかも時給は安い。 それでも、1人なら何とか生きていける。 こうやって平日に休みを取って人間ドックにだって行けるんだから、東京にいた頃よりもずっと人間らしい暮らしだ。 それにしても、今日1日だけで凄い散財だ。車窓の外を見てため息が出た。 雨さえ降らなければ自転車で行けたのに。
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