先輩の笑顔

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再び検査着に着替えると、女性検診を受ける人は奥のピンクの椅子に座るように言われた。 受けない人たちは手前の青い椅子に座っていて、その中に一生先輩もいた。 初めに女性検診の流れの説明を受ける。今度はカードではなく、チェック表に赤ペンでチェックしていくと言う。一気にアナログに戻った感じだ。 ここで受けるのは乳房検診と子宮検診と午前中の検査の面談。 私はまず面談を受けるために3番のドアの前の椅子で待つように指示された。 隣の2番のドアの前に一生先輩が座っていて、近づいていく私にニコッと微笑んでくれた。 ああ、やっぱりこの人の笑顔は最高だ。 普段はどちらかというと怖いぐらいの仏頂面なのに、たまに見せる笑顔はキラキラに輝いていた。 こんなに笑顔が素敵な人にお目にかかったのは後にも先にも一生先輩だけだ。少なくとも私の人生においては。 あの頃と変わらない少し幼い感じになるキュートな笑顔を見て、胸がキュンとなった。 この笑顔をずっとそばで見ていたいと思っていた。出来ることなら私にだけ向けてほしいと。 そして、そう思っていたのは私だけじゃなかったってことだ。 母親の入院がきっかけではあったけど、私が何の未練もなくコーラス部を辞めたのは先輩のせいだ。 もう先輩はいないから。 そして、先輩との思い出がいっぱいできた分、女子部員たちとの距離が開いて行ってしまったから。 別にいじめや嫌がらせを受けたわけじゃない。 それでも、部活に出るのが億劫になるぐらいの妬みややっかみはひしひしと感じられて、毎日居心地が悪かった。 一生先輩に夏のNNKコンクールまでは辞めるなと入部当初に散々言われていたから、出来れば高校も部活も続けたかった。 抗がん剤治療はお金がかかる。兄はバイトを2つ掛け持ちしながら大学に通っていたけど、私のためにバイトをもう1つ増やしてくれた。 「高校はちゃんと出ておかなきゃダメだ。大学だって俺が働いて行かせてやる。」 兄は成績優秀につき大学の特待生に選ばれていたから、学費は払い込んでもすぐに戻ってくる。図書費というおまけ付きで。 だから、家計を圧迫しているのはどう考えても、私の高校の授業料だった。部費や合宿費などでそれ以上負担を掛けさせるわけにはいかなかった。 兄が必死に働いて私を大学まで行かせてくれたのに、私は今、高卒で働ける仕事に就いている。
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