第1章

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「またか」と思う、男性タイプの話を聞いた。 「恋人かなと思わしき女性と旅をしたら、それで終わった」という。 なぜかと聞くと、回答はこうだ。 「ひとつ屋根の下に一緒にいてみると、わかることがあるじゃないですか。もうそれで、嫌になって終わりですよ」 許容はないのかと尋ねてみると、「ない」という。 考え直すことはあるのかと確認すると、「ない」という。 男性の脳神経らしい脳神経をもつ男性のセリフだ。 まっすぐ一直線で、一方通行。 予定外のことは、入らない。入れないのが男性の特徴だと、理科の教員に聞いたことがある。 「評価しちゃうんだよね」 そうだという。 だから、続けて質問する。 自分が評価されていることに、意識はあるのかと。 「それはない」と返ってくる。 「そこまで深く考えてないんですよ」と付け加えられてくる。 女は評価対象。 女は崇拝対象。だから理想があって、その自分の理想枠からはずれる女性は、「自分の女」には該当しない。もう嫌。という思考ツールだそうだ。 「寂しくないのか」と聞くと、「寂しくはない」と返ってくる。 なるほど。 寂しくないのだから、別に、とっかえひっかえ、そのときの気分を満たしてくれる女性がいれば、それはそれでうれしい。というだけになってしまうのも、当然かもしれない。 女は面倒みてやるもの。 その面倒みてやる女は、俺様が選ぶ、評価する、そのうえで、関係が成り立つ、という思考ツールだ。 完全、昭和だ。 「お前何様?って感じですよね。たち悪いんですよ」と、くる。 そこは、クールに自己評価ができているコメント。 だから、尋ねてみる。 「で、何様なの」 「いや、普通様ですよ」 ここも理解が客観的。 でも、「普通様」なのに、自分は女性より常に上の立場感覚でいる。そして、評価する側、ということだ。つまり、女性は男性の「普通様」よりいつも下位ということなのか。 それを指摘すると「そうなんですよね」と、それも容認。 でも、変えることはできないし、しないらしい。 変わるのは、男の自分が弱ってきたときだろうねと、伝えると。 「あーそれ、わかる気がします」と。 そう。 50歳前後で結婚する、モテてきた男性は、日本にはよくいる。 評価し続ける幸せ独身は、50歳がひとつの変換期なのだろうか。 普通様の幸せは、どこまで。
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