橋を渡る

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橋を渡る

僕が橋を渡るときいつも思うのはもし次の瞬間に橋が壊れてしまったらどうなってしまうだろうということである。 そこには人類の希望や、英知や知識の結集がある。 もし橋が壊れてしまったら 悲しむ人がたくさん出てくるだろう。 橋を作った業者や、近所の小学生、テレビニュースなんかでも流されるかもしれない。 とにもかくにも僕が言いたいのは橋というのは人類希望の象徴みたいなものであるということだ。 それは僕や君が思っている以上に人類の知識とか技術力の高さとかあとなんやらかんやら、たくさんのものを含んでいるものなのである。 テレビニュースなんか出されるかもしれない。小学生は涙にくれ、悲観的な女性は泣き崩れて1週間は立ち直れないかもしれない。 あなたがこの文章読んでピンとこないのであれば、あなたは橋の素晴らしさがわかっていないのである。 もし機会があれば橋の下で橋を下からじっくり見てみて欲しい。 一度でいいから。そこにはコンクリートの力強さや作った人のこだわりや曲線美というものが、本当に力強くあらわれている。 別に手抜きをしようとおもえば曲線なんて作らなくてもいいし、街灯なんてつけなくてもいい。 いつだって橋を渡ればロマンチックな気分になれる。 昼は川。夜はライトアップされた橋の雰囲気。そして、行き交う人々。人、水の流れ、車、橋はいろんなものを流しているんだ。 夕暮れ時の橋なんてとってもロマンチックで恋人と歩いてみたい気がしないような気がしないでもない。 夜通ったっていい。そこには橋を通る人のためにライトアップされた、蛍みたいなたくさんの光や、ゆきかう車のタンゴにあふれている。 とにかくまあ僕が言いたいのは、世の中は橋を通るたびに、何て素晴らしいんだって思う人間もいるということである。
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