セシル

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セシル

「最近、家を出るのが早いわね。世知。」 かあさんが、何かその先も聞きたそうな口調で僕に言った。 母さんは僕が適応障害とわかってから、まるでガラスでも取り扱うように僕に話しかける。 僕を、世知(せしる)なんて名付けた母。 学校の宿題で自分の名前の由来を調べることになって、僕が母に尋ねると、サガンの「悲しみよ こんにちは」の主人公の名前なの、と母さんは僕に言った。学校ではサガンなんて知ってる同級生はいなかった。 それだけに繊細で、僕だって母さんのことは高価なジレのガラスのように思ってる。 「うん、カフェに寄ってからケアセンターに行ってる。大丈夫だから。」 「そう?気をつけて。」 「行ってきます。」 母さんのことは好きだ。綺麗で儚い芸術品のような人で、何処となく冷たい感じがするのも僕は好きだ。 僕が10歳のとき母さんは離婚した。原因なんて重要じゃない。その事実は、僕の心を粉々にした。 ただ、救われたのは母さんが僕を放棄しなかったことだ。あのガラスのような人が社会に出て働き、今まで育ててくれている。 社会がどれ程痛くて苦しい場所か僕にはわかる。 だから、ほんとは僕は病気でなんかいたくないんだ。僕はもう21だ。普通に働いて、普通に結婚し、母さんを養っていきたい。 なのに…それを考え出すと、いつも堂々めぐりで、自己嫌悪に陥り、呼吸が苦しくなる。 先の見えない不安に支配され、ぼくは薬を飲む。 それがなんの解決にもならないことはわかってるけど。
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