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アパートは木造三階建て。外観は洋館だが、中は日本家屋である。昭和初期のもの。
古い町なので駅裏にこんな建物が残っている。
これほど古くないが、昭和三・四十年代の瀟洒な建造物がこの辺にはいくつもある。過去に温泉地としてにぎわった名残り。
そういった物が雑居ビルや真新しいマンションなどと混在している。残念な事にそれらはあまり手入れされていない上、安普請の補修や増築をほどこされ台無しにされている。トタンで蔽うなど。
アパートの向かいにある小さな市営温泉も古い建造物。温泉だと教えてやると、丈史は驚いた。
「えー、これが温泉なの?」
「そうだぞ」
丈史がそう言うのももっともで、小さな公民館のような造り。
正面の入り口は温泉どころか銭湯にも見えない。重たい鉄枠の硝子の扉。古い床屋でもよく見られる物。
「六十円だって」
「安いの?」
「滅茶安だぞ」
「へぇー。じゃあ、毎日入れる?」
「ああ。毎日だ。実はアパートにはお風呂がないんだ」
「えー? 本当なの」
「うん。温泉地の古い建物だからな」
アパートの板塀を入ってすぐには、貧弱なミカンの木がある。裏手には桜が数本あり、下見に来た時は一分咲きだった。今は丁度綺麗に咲いているだろう。
正面の両開きの木戸を入ると、奥に向かって板張りの廊下があり、その両脇に部屋が並んでいる。
部屋に台所は附いているが、トイレは共同。民宿のような造り。
靴は入り口で脱ぐ。下足棚がある。殆ど空っぽで、薄汚れたつっかけが一足だけある。今居る住人は一人だけだと聞いている。
引越し屋の若者達のスニーカーが乱雑に並んだ土間をまたいで、廊下に上がった。
靴を脱いで困った顔をしている丈史に手を貸してやった。抱き上げて廊下におろした。
歩くときしむ廊下。突き当たりに階段。階段もまた木製であり、ギシギシ音を立てた。
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