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「サラ。は、早くっ! 追いつかれるぞ」
防塵マスク越しのくぐもった声で叫んで、とっさ握りしめようと彼女の白くて細い手首に伸ばしかけた右腕を、はっとしてレイジは引っこめる。こんな非常時にもかかわらず、一番最初に交わした約束が脳裏をかすめた。
『どんなことがあっても、ゼッタイに私には触れないで』
キッとサラは強く固いまなざしでレイジを睨む。
触らないでよ!
声にはしないものの、そう訴えている表情だということは明確に見てとれた。
でも、よりにもよってこんな状況で。そんな悠長なことを言ってる場合かよ。
レイジは防塵マスクの下で舌打ちする。
独特の猛々しい絶叫にも似た怒声を放ち、後方からは数十体もの群れが疾走して迫りくる。間もなく夜を迎えようとしていたが、奴らにはそんなことなどいっさい関係ない。奴らには時刻や時間帯ではなく、七時間という絶対時間枠しか存在しないからだ。
レイジは自分たちとの距離を確かめるべく、全力で走りながらうしろを振り返った。横に連れ立って走っていたサラが今しがたよりさらに半歩分出遅れてる。
そのサラの十メートル背後まで先頭集団が喰らいつこうとしていた。牙を剥き出すように開けた口からは、唾液に混じって赤黒い血がだらだらと流れ、顎や頬をもグロテスクに染めている。
夕闇が深まろうと、その鬼のような形相ははっきりと視認できる。
何千回見ようと、見慣れることはない。
奴らは惨たらしい。しかも、恐ろしい。
ああなると、顔からは年齢も性別も完全に失われる。
髪型と着ている服装と背格好でかつての人となりを辛うじて判断できるが、面持ちは一様に同じになってしまう。
化け物にしか見えない。
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