ニヒルな坊主①

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ーー七月初旬の朝。  両方のこめかみ部分を押さえながら、二日酔いの身体を奮い立たせて廊下をふらりと歩く。壁に立て掛けられている飾り時計の針が、丁度七時を指している。耳をつんざくような大きな蝉の声に、テンションの低さとは反比例して、不快指数だけは朝からうなぎ登りだ。  見知らぬ他人の家を右往左往した挙げ句、やっとの思いで居間の前にたどり着く。そこのダイニングテーブルの椅子に、優雅な雰囲気を漂わせて座っている人物の姿を見て、私は小さく声をあげた。 「ぎゃっ」 「どうかしましたか?」  しれっとした顔で、私の目の前にいる細身の男は、煙草をふかしている。男は坊主だ。ハゲ坊主だ。そして、この家は大きな寺の敷地内にある。私は今、お寺にいる。 「ぼっ」 「……ぼっ?」 「坊主が袈裟来て、煙草なんか吸っていて良いんですか?しかもその格好でコーヒーって。坊主は大抵緑茶でしょ、緑茶」  昨夜の豪雨の中、ずぶ濡れだった私を拾って帰ったこの目の前のお坊さんは、煙草を灰皿に押し付けながら新聞をめくる。大体、何で経済新聞を読んでいるのかもさっぱり分からない。 「人に自分の想像を押し付けないで下さい。坊主にだって、朝食にパンを食べたい日くらいあります。それに、パンにはコーヒーが定石でしょう。あと袈裟を着てるからって、煙草を吸ったら駄目だなんて決まり、うちの場合は特にありませんので」 「……ぐっ」  ハゲ坊主がコーヒーを静かに啜りつつ、やれやれと溜息をつく。 「貴女は本当に面白い方ですね。やはり、昨日拾ってみて正解でした」  嫌味にしか受け取れない言葉に、私は昨日の顛末を思い出す。  私は、昨日婚約者にフラれた。しかも、二十九歳の誕生日にだ。プロポーズしてもらえる気満々で待ち合わせたお洒落なレストランで、まさかの玉砕だった。 「ごめん、奈津。俺と別れてくれっ」  席について一呼吸ついた直後に、彼から勢いよく発せられた突然の言葉に私は固まった。 「えっ……亨、何言ってんの?」  七年間付き合った私の彼氏は、まだ飲み物も食事も頼んでいないのに、いきなり別れを切り出してきた。せっかちなのは、付き合いだした当初からそうだったから分かってはいる。分かってはいたけれど。  だけど、なにも人が席につくなり、このタイミングで別れを切り出すものだろうか。
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