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七年も付き合った彼女の、よりにもよって今日は誕生日だというのに。
「……なんで?理由は?」
動悸が止まらない。心臓の音が早鐘のように、頭の中で鳴り響く。まさか、別の気持ちで心臓をバクバクさせる羽目になるだろうとは思いもしない。会社のトイレでメイクを直しながら、プロポーズされるかもなんてその時から既にドキドキしていた自分が馬鹿みたいだ。
「お前の課にいる後輩の裕子ちゃんと付き合ってる。……子供が出来たって言うんだ」
「……え?」
眉間にしわを寄せて恋人を睨み付けると、その視線の延長線上に、事の元凶である女のシルエットが突如現れる。
「ごめんなさい、気持ちが悪くて御手洗いへ行ってて……」
ハンカチで口元を押さえ、当たり前のように亨の隣りに、私より五歳年下の裕子が座る。青ざめてはいるものの相変わらずの女子力の高さで、悔しいが可愛い。亨が気遣うように裕子の背中を擦っている。
一緒に私が来るのを待っていたということなのだろうか。
悪い夢を見ているとしか思えない。夢なら早く覚めてくれないだろうか。
くらつく頭を何度左右に振ってみても、目の前にいる二人はやはり消えない。
「本当なのね……」
絞り出すように、小さく言葉を紡ぐ。それだけ言うのが精一杯だった。
裕子は今まで煙草を吸っていた。それが、この二、三か月程は煙草を吸うのを見かけなくなっていた。妊娠していたから止めていたなんて、思いも寄らないことだった。
「原田先輩……ごめんなさい」
そう言って頭を下げる裕子に対して返事をしないまま、私は席を立った。これが七年付き合った挙句の答えなんだ。大事な話があると言うから、てっきりプロポーズだとばかり思っていた。
「分かったわ。私達、別れましょう……さようなら」
その一瞬だけ、亨と目が合う。
私は出来るだけ自然に見えるように踵を返し、ふらつきそうになる脚を奮い立たせてその場を立ち去った。
自分を裏切った二人に、高級レストランで罵声を浴びせる勇気なんてない。いや、勇気というか、これ以上惨めになりたくなかっただけだ。
子供が出来たという言葉は、果てしなく強い言葉のように感じた。
外に出ると、さっきまで晴れていた筈なのに、いつの間にか大粒の雨が滝のように降っていた。
「ゲリラ豪雨かよ……」
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