第二章 寵愛者 続き

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 サラの声がわなわなと震えていた。  いよいよ別のアロスの群れた咆哮が近づいていた。今度の襲来数は二ケタはいるに違いない。 「急ごう、サラ」  進みたくなくても、一歩を踏み出さなければならなかった。  あのとき、ケンジを葬って、家族の思い出が詰まったマンションを出なければならなかったように。  つねに新たな一歩を踏み出さなければ、生き残れない世界だ。  俺は絶対に生き抜く。サラと共に。この狂った世界で。目的の地に彼女を送り届けるまでは。  言葉なくサラはレイジに追従してきた。乾いた地を蹴って二人で闇夜を駆ける。自らの足音と息づかいと、狂ったアロスどもの叫び声だけが耳に届く。  夜明けまでには、まだ七時間近くもあった。 ***  必死で抵抗を示して激しく闘ったのだろう。  レイジとサラは驚きを隠せなかった。  片腕の自由が奪われ、しかも小さいとはいえ、別個体のアロスと繋がった状態で、カオルコのアロスはぼろぼろの肉体になりながらも存命していた。  ユウイチのアロスを抱きしめたまま。  だが、ユウイチのアロスはへそから下の半身をごっそりと失い、もはや動いてなかった。  あたり一面は黒い血糊がべっとりと土に滲み付き、手とも足とも内臓とも判断のつかない腐敗したような肉塊や死体がそこかしこに散乱し、きつい異臭が沸き立っていた。  レイジとサラの足音に気づき、カオルコのアロスはうなだれていた顔をゆっくりと持ち上げた。浮腫や発疹は消え、もはや攻撃性も感じられなかった。彼女は昇りくる朝日を受けて、面持ちを眩しそうに歪めた。そこに人間らしさを感じさせる微細な感情の動きがのぞいた。 「……この子は、私の子じゃなかった」  なんとカオルコはしゃべった。同じく幼い子供の表情を取り戻し、眠ったように動かないユウイチの血まみれの顔に頬ずりしながら。 〝エンジェル〟だ、とレイジは悟った。  そしてサラと一瞬だけ顔を見合わせたあと、続く彼女の言葉によって二人の視線はふたたび瀕死のカオルコへと引き戻された。 「でも、でも、廃墟で泣きじゃくってる、埃だらけのこの子を見つけて……」  苦しげな息づかいで、彼女は掠れかけた声を絞り出した。 「夫と共に失ってしまったユウイチを思い出して。だからユウイチって呼ぶことにしたの……」
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