3人が本棚に入れています
本棚に追加
「全く、美味しそうに食べやがるぜ」
ガハハと笑う気さくなマスター。
ほんとうに、このお店で朝を過ごす度に生きる力を分けてもらっている感じだ。
さて、そろそろコーヒーを。
砂糖もミルクも入ってない、漆黒の液体をグイッと飲む。
口の中を炎が駆け回るように熱が走り回るが、それもすぐに止み、コーヒーの苦味が口に広がる。
ーーコーヒーの苦味を理解出来るようになったのはいつからだろうか?
昔は、この苦味が大嫌いだった。
でも、今はこの苦味がむしろいい。
苦いからこそ、美味しく感じる。
「ふぅ、相変わらず、コーヒー飲むときだけは不思議そうな顔するな?」
いつものようにマスターが声をかける。
そして、私もいつものように返す。
「マスター。コーヒーの苦味が美味しく感じるのは、大人になったからかな?」
いつもの問い。
質問に返されるのは、はぐらかされた答え。
けれども、今日は違った。
「その苦味に勝る経験をしたからよ」
遠い目をするマスターを黙って見つめる。
「人生ってのは、なげぇのよ。
途中にあったことなんて、ほとんど忘れちまう。
けどよ、楽しかった事より、嫌な記憶のが残りやすいもんだ。
そいつらはよ、その時は嫌でも、後から思い返すと、どんなに楽しかった記憶よりも輝いてみえたりするもんさ。
コーヒーの苦味は、そいつを思い起こさせるから、好きなんじゃねぇか?」
なるほど。
そんな考えもあるのか。
「で、今日の仕事も苦そうなやつかい?」
元の顔に戻ったマスターが声をかける。
「えぇ。
けっこうね」
すました顔で答えると、マスターは悟ったような顔をした。
「カンパニー勤めも大変だな?
今日のお代はいつも通りツケにしとく。
じゃあ、気ぃつけてこい」
マスターの逞しい腕で肩を叩かれ、私は店を追い出される。
全く、幼い頃からお世話になってるとはいえ、お客に対する態度がなってないのがあのマスターの弱点ね。
ぶつくさ文句をいいつつも、そんなところが気に入っている私は、また次があれば、朝にはあそこを訪ねるのだけれど。
最初のコメントを投稿しよう!