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「お母さんが大好きだったんだね」 それは、少し論点のちがう言葉のような気がした。もちろん、母のことは好きだったけれど、人は死んでしまうと美化されるようにも思う。思い出というのは、いつも綺麗なままだ。 「こんな日くらい母を思えることをしたくて、そしたら、紅茶の香りが思い浮かんだんですよね」 4年という年月は、哀しみを風化させるには十分な時間だった。 急な事故で母は他界した。当時は、父も随分と憔悴していたし、まだ60歳にもなっていなかった早すぎる母の死に、親戚や周りへの衝撃も大きかった。 今はといえば、もう母の話題を誰かから聞くこともなく、それが妙に哀しく思えた。私はまだこんなに若いのに、やりたいこともなくボーッと過ごしているだけ。生前、母は会うといつも笑っていた。パートをしながらなのに、家事にも不満一つ漏らさずにてきぱきとやっていた。たまにしか実家に帰らない私の世話を、喜んでしてくれていたように思えた。 いろんなことが、紅茶の香りとともに一斉に溢れたような気がした。 すると男性が、少し間を置いてから問い掛けてくる。 「命日というのは、そういう日なのかな」 「え?」 何に対する言葉なのかが理解できずに、聞き返した。 「死を悼むというのは、故人を想うことだよね。悲しむだけじゃ浮かばれないから、ありがとうを乗せて。そこには、今の自分が胸を張れる生き方をしているかどうかなんて、関係がないんじゃないかな」 私は、言葉をなくした。ベクトルの違う悩みを、母の命日に重ねてしまっていたのだ。こんな大事な日に、お墓参りもしないで。 「案外、悩んでる物事って繋がってはいないからね。一つ一つを切り離してみると、うまく転んだりするものだよ」 そう言うと、彼はそのままカウンターの中に戻っていった。 灰皿を見ると、途中で吸うのを忘れていた煙草が、もうすべて燃え尽きて消えていた。
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